わが民族はどの民族よりも優秀なんだという意識とまではいわないけれど、どうみてもわが民族の優秀性を誇示して周りを見下げた視点で見るという行為は民族的差別主義だといって良いのだろう。子どもの頃から刷り込まれていたからその差別主義は油断していると加速される。意識してその差別主義を排除するつもりにならないと無意識の中では維持され、あるいは拡張される。
不思議と他者の優位に立つという意識は確保できると快適になる。ところが世の中は簡単じゃなくて、それが逆転するシチュエーションがあり得る。あの戦争がそれをもたらしたといっても良い。すべての状況がひっくり返った。
だったらそこで目覚めればいいものをどうにか様々な壁土を持ってきてはその上に塗りたくって見えないようにしてきた。
ところで近頃、東京裁判の判事だった人のうち何人かを取り上げて、この人達は日本は戦争犯罪的には有罪ではなかったと書いているとする書籍がまた出始めている。意図的に彼らの意見をこっちへ曲げて解釈するのは勝手だけれど、それを売り物にするのは卑怯というものだ。わかっていて曲げるのは間違っている。