先週、保阪正康の話を聞きに行った時に出た話。平和の上に成り立つ正義と、正義の上に成り立つ平和を比べて論じていた。
平和という状況に存在する正義は絶対的な意味での正義であり得るけれど、これが逆転してある種の正義の上に成り立っている平和というものは大いに疑ってかからなくてはならない、というのだ。つまりある種の人々にとって意味するところの「正義」を振りかざす平和というものは、そのある種の人々にとっての「正義」であり得てしまう、ということだ。
平たくいうと、この国のいわゆる「伝統」にのっとった「正義」をふりかざして造りあげられる「平和」は独りよがりの「平和」になりかねないということだというのである。
宗教戦争なんぞはこの論理の典型例ということができよう。
それにしても保阪は一体哲学者なのであろうかと思うほどである。