ほぼ足りてまだ欲 その先

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侵略

アベシンゾーの4月23日の参議院予算委員会での発言

  • 「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国の関係でどちらから見るかで違う」(朝日新聞2013年4月24日1時59分)

 そりゃ当たり前でございます。どんな史実もどんな視点に荷担してみるかということによって大きく異なります。ただし、それは事実を事実としてみるという見方ではないわけです。つまり何をいいたいのかといったら、偏った見方をすればいくらでも偏ってみることができるということです。彼がいっている「どちらから見るか」という言葉は事実を見るといういい方からしたら恣意的に事実を捉えるかという見方なのであって、それは歴史という点でいうと正しい見方ではありませぬ。
 対中国を侵略ではないという見方をするのだとしたら、それは傀儡政権を作って満州に移民を送り込んだ行為を正しい支援だったということになるわけです。多分アベシンゾーはそういうのでしょう。これはあまりにも謙虚さを欠いた恣意的な歴史のとらえ方という他はありません。
 ところで元弁護士の丸山某が国会でこの発言を引き出した張本人。彼は村山談話を引き合いに出して、3点の問題があると指摘。それは(1)「遠くない過去の一時期」とは一体いつをさすのか。(2)「国策を誤り」とはどんな国策のことをいうのか、ならば一体どの様な国策をとるべきだったのか。(3)「植民地政策と侵略」はなはだ曖昧な表現で植民地といったってこれまでの世界中の植民地経営形態だって一杯あるじゃないか。と指摘したことに対してアベシンゾーが答えたものである。
 丸山某はCarter J. Eckertというハーバード大朝鮮史の教授が書いた「日本帝国の申し子」という書籍を引用して日本の植民地だった朝鮮半島は日本が推し進めた工業化によって、英国の植民地だったインドに比べたら大きく異なるわけで、単なる圧制者ではないと主張した。また、彼が米国に留学中に韓国系米国人に日本は世界で唯一米国と相対してがっぷり組んで闘った国なんだから、その気概を持って欲しいと言われたことがある。世界に冠たる気概を示さなくてはならない、と発言した。
 そもそもこの発想そのものが断片的な史実によって「歴史を一刀両断にしている」(丸山某の発言を引用)。