ほぼ足りてまだ欲 その先

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敗戦記念日

 歴史修正主義という流れがあって、この国の昭和前期の歴史的史実をそのまま捉えることをせずに「愛国」という言葉を勝手に曲げて使ってすべてを覆い隠す。そして歴史的史実をひとつひとつ積み重ねていこうとすると直ぐさま「あなたはそれを見たというのか」といって消し去ろうとする。ならばキミはそうでないと主張する根拠は自分が見たことだというのかね、という簡単な論理が読めない。
 所詮、史実を曲げる為にはその到達点にむかって恣意的にねじ曲げなくてはできない。しかし、このままにしておいたら、この国はまた元の道に戻る。
 なぜならば日本人はそうした流れの中に自分を置くのが大好きだし、全体主義の中にいてすべからく「小良く大を制す」的な展開を好む。大好きなのだといっても良い。尤もその様な展開が大好きなのは日本人に限らないから人間の性なのかも知れない。
 人を貶めてでも、自分が重要だと自ら思い込めるのであれば、対象はなんでも良い。自らそんな土俵から降りるというポジションを取ることは「男らしく」なくて、弱虫なんだと決めつけることは大好きだ。自分が愚かなスタンスをとっているのかも知れないという振り返りは誰だってしたくない。だから、自分の置かれている立場を正しく認識する勇気を持つのはなかなか難しい。
 理想主義を貫徹するのは最も難しい。だから、マハトマ・ガンジーも、マザー・テレサもいつまでも尊敬を受ける。
 だからといって、自らそれを放棄して他を圧倒しよう、他から搾取しよう、他を従わせようとするのは愚の骨頂である。
 クメル・ルージュ、北朝鮮キム一族、昭和前期の日本軍事植民地主義ウガンダアミン暴政、リビアカダフィ独裁、イラク・サダムフセイン独裁、愚の骨頂である。
 煽り続け、子どもたちをその気にし、志願をせざるを得ない状況で志願を募り、尊い命を国に捧げるという美辞麗句で飾り立て、若者を犬死にさせた。なんで、そんな史実が美化されなくてはならないのだろうか。