ほぼ足りてまだ欲 その先

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叔母さん

 連れ合いの実家は親戚がとっても近い。ロケーションではなくて繋がりの意味だ。義父母はもう既に他界しているのだけれど、義父の二人の兄のうちの一人と義母の姉が夫婦だった。そっちは旦那は店を始めたのだけれど徴兵されてサイパンだったかで戦死した。残された妻(つまりウチの連れ合いの叔母さん)は二男一女を育てた。商売は弟である私の義父が継いだ。その商売を育てながら自分の死んだ兄の嫁と三人の子どもを育てた。
 つまり親戚とはいいながら家族のようなものだった。義父にはとうとう結婚しなかった姉がいて、妹の一家と一緒に近所に暮らしていた。
 だから、40数年前に初めて連れ合いの実家にいったときには誰と誰がどんな関係で、誰と誰が店で働いているのか判然としないくらいだった。その上、忙しい時期には義母の兄さんなる人まで郷里から出てきて手伝ったりしていたし、商品のメーカーから修業と称して若い跡取りが住み込みに来たりしていた。
 サイパンで死んだ兄さんの他にもう一人兄がいたんだそうで、その人はシベリアに抑留されて彼の地で死んだ。本当はその人の嫁になるはずだったのが連れあいの母親だった。かつて田舎ではそんな具合だったのだ。うちの死んだオヤジとおふくろも血は繋がっていないけれど、親戚だったという。狭い世界だった。
 そのサイパンで夫が戦死した叔母さんは昨年白寿となり、今年百歳の誕生日を迎える。毎年遺族会に行くのがひとつの定例行事になっていたのだけれど、今年の武道館の戦没者慰霊式に遺族最年長者としてやたらとテレビの取材を受けていたのには驚いた。
 息子から電話がかかってきて、「テレビにも大写しになっているし、ネット上にも写真が載っているよ」と興奮気味にいう。昼飯を食いながら見ているとインタビューに応えていた。
 今年になって頭部内出血摘出の開頭手術をしたのだけれど、白寿の今になって改めて人生を振り返っているのだろう。死んだ旦那とその兄弟はみな戦争でえらい目にあった。
 それを考えると某総理大臣の言葉が実に空疎であった。闘いを前提に備える前にやることはたくさんある。その努力を面と向かって取り組むのでもなく、直ぐさま「国防だ!」と主張するのは子どもでもできる。

安倍晋三首相挨拶全文(msn産経ニュース2013.8.15 12:08)

 天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者の御遺族、各界代表多数の御列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行いたします。
 祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れられた御霊(みたま)、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異郷に亡くなられた御霊の御前に、政府を代表し、式辞を申し述べます。
 いとしい我が子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、貴い命をささげられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません。
 御霊を悼んで平和を祈り、感謝をささげるに、言葉は無力なれば、いまは来し方を思い、しばし瞑目(めいもく)し、静かに頭(こうべ)を垂れたいと思います。
 戦後わが国は、自由、民主主義を尊び、ひたすらに平和の道を邁進(まいしん)してまいりました。
 今日よりも明日、世界をより良い場に変えるため、戦後間もない頃から、各国・各地域に、支援の手を差し伸べてまいりました。
 内にあっては、経済社会の変化、天変地異がもたらした危機を、幾たびか、互いに助け合い、乗り越えて、今日に至りました。
 私たちは、歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた、国の未来を切り拓(ひら)いてまいります。世界の恒久平和に、能(あた)うる限り貢献し、万人が、心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くしてまいります。
 終わりにいま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様には、ご健勝をお祈りし、式辞といたします。

 アジアの国々に対して多大なる損害をかけたことについてアベシンゾーは一言も触れることがなかった。彼の口から「歴史に対して謙虚に向き合う」という言葉が出てくるとは思いもよらなかった、といったら嘘だ。彼は平気で自分が思ってもいないことを口にすることができる。イヤ多分彼だけではなくて、自民・公明連立内閣には平気な連中はごまんといるのだ。