ほぼ足りてまだ欲 その先

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製硯師

 こんな言葉、初めて聞きました。連れ合いの弟の一人っ子が家業を継いで、書道用品屋の四代目にあたるわけですが、爺ちゃんが彫っていた硯の仕事をオヤジに引き続いてやっていて、伝統工芸師の集まりに加わるときに、そういう名前を名乗ったんだそうで、製硯師といっているのは彼しかいません。
 で、どういうわけか、彼は父親やおじいちゃんと違って、自分をアッピールすることが上手で、今ではすっかりその筋では有名になってしまいました。弱冠38歳だったかな?
 爺ちゃん、というのは私の義父にあたるわけですが、書道洋品屋の店主でありながら、親戚の若い連中を集めて、お兄さんが始めた家業を拡げたという人で、わたしの記憶の中では仕事場でゴリゴリと、硯を削って粉まみれになっていました。日頃はどんな店でも売っていないようなジャンパーを着ていて、雪駄履き、革靴を履くのは大嫌いという人で、人の結婚披露宴に出るときは雪駄で出かけて、靴に履き替えるくらい、嫌いだったという人です。そんな素朴な職人でした。生まれは山梨です。つまり、硯や和紙の故郷のひとつといっても良い地域ですから、こうなるのは自然だったといっても良いと思います。ただ、東京でこの商売を始めたのは義父の兄にあたる人で、残念ながらその人は戦死してしまいました。そこで、戦争から帰ってきた義父が跡を継いで二代目となったそうです。戦後はそうしたものを行商したんだというのですから、あんな小さい人に良く務まったものだと、驚きます。
 四代目のもうひとりのお爺さんにあたる人は早逝してしまったのですが、書家でした。お母さんは中国語もできるピアニストでした。父親、つまりわたしの連れ合いの弟は、勉強のできる人しか入れない私立に行ったのですが、東大の試験がなくなった年に遭遇して、進学をやめたという面白い構成です。
 そんなところに、こんなに洒落たスタンスに立つ現代の硯師が生まれるとは思いませんでした。先月放送されたテレビ番組を見て、歌舞伎役者が訊ねてきたんだそうです。世の中、あっという間に変わるのね。