ほぼ足りてまだ欲 その先

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捕虜第一号

 ここで何度も紹介しているこの本なんだけれど、終わりの方を読んでいると、なんとあの太平洋戦争、日本軍捕虜第一号の酒巻和男少尉のことが出てくる。ハワイにあった捕虜収容所の任に当たっていた著者のことだから、彼のことが出てきてもおかしくはないはずだとこの本を手にしたときは思っていたけれど、それまでは全く出てこなかったので、なんの縁もなかったのかと思っていた。
 酒巻和男は海軍が真珠湾を急襲したときに空からではなく、海から侵入した特殊潜行艇5隻に乗っていた10名の日本人のうちのただひとりの生き残りである。当時、その特殊潜行艇はまったく戦力とならなかったのだけれど、あとから真珠湾攻撃の手柄の一部は彼らのものとしてくれといわれて、そうしたということが真珠湾攻撃総隊長だった淵田美津雄の自叙伝に出てくるが、酒巻和男を除いた9人は当時「九軍神」として英雄となったのだ。
 残りの酒巻和男だけは米軍の捕虜となってしまったのだけれど、当時の大本営とその流れに迎合するしか生きる道がなかったマスコミは(もうまさに今の状況とそっくりだ)、「九軍神」は讃えに讃えたけれど、酒巻和男については全く無視だった。
 彼が戦後日本のトップ自動車メーカーの社員になって、南米の支社長まで勤め上げたことは割と知られている。しかし、私は彼が捕虜になっている間がどうだったのかについては寡聞にして知らない。
 この本が書かれた終戦から5年後の1950年に「捕虜一号」である酒巻和男がしきりにジャーナリズムにもて囃されていると書いている。まるでアメリカン・デモクラシーのために一役買っているように「ニッポン・タイムズ」が書いていると怒っている。
 しかし、捕虜として収容されていた期間、彼は収容所の中で軍人精神の権化のようにいわれていたと書いている。軍人勅諭と見まごうばかりの捕虜の心得を規定したりしたのだそうだ。”酒巻精神“といわれていたそうでその“精神”に満ちあふれた捕虜連中が他の捕虜を圧迫し、時には暴力までふるったと。なんだか、カウラ事件の南忠男を思い出させるような話だけれど、それはきっとどこの捕虜収容所でもあったことだろう。酒巻和男は民主主義を戦後の日本に持って帰ってきたと持ち上げられていたのが、周囲には違和感をもって見られていたという。
 なんだか種明かしを見せられたような気分なり。