ほぼ足りてまだ欲 その先

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記念日

 危うく忘れて通過してしまうところだった。明日は昨年も書いたようにわが家の出発記念日だ。もうあの頃、新所帯の出発に際して用意されたもののうち、残っているのはタンスの類だけになってしまった。ひとつだけ残っていた妻が愛用していたアイロンも、とうとう寿命が来てしまったと昨日嘆いていたところだった。
 電化製品の寿命もかつてに比べたらどんどん短くなってきているように思う。どんどん次から次に新しいタイプのものがでるようになって、通信機器なんぞは通信契約の2年縛りが解けるまでに多分多くの人たちが新しく出たものに切り替えているのではないだろうか。それほど技術が日進月歩というか、メーカーが出し惜しみをして儲けるシステムになってきている。
 10年単位でものを考える、なんていうことはとっくにしなくなった。十年一昔なんて言葉を使ったり書いたり、口にしたりするなんてことはもうとっくにしなくなったことだろう。40年以上前は自分では40年後くらいには随分暮らしやすくなっているんだろうなぁと思っていたけれど、思いの外進んだ社会システムになってはいない。
 なんの憂いもなく老いることができる社会がやってきているかといったら基本的にはあの頃となんも変わっていない。2000年の社会福祉構造改革で高齢者介護という概念が大っぴらになったことは確かだろう。それまでは見て見ない振りをしていた分野だったものが誰も彼もが思いを寄せるようになったという点で変わったといえるのだろうけれど、それは国民の多くがそれに直面するようになったという理由による要素が強い。
 自民・公明連立政権がやりたい放題に動き出してから、どんどん絶望的な状況に陥りつつある。集団的自衛権の行使とは「戦争をする」ということだから、これは大きな変化である。それまで「戦争は絶対にしない、軍隊を持たない」を(嘘なんだけれど)旗印にしてきたものが、彼らの様子を見ていると、明らかに後退していっている。それが彼らにとって自らを守る道だと何が何でも思っているように見えるのは、後ろから刃を突きつけられているということなのだろうか。
 彼らが自らの利権を守る為に国民を売るという行為に邁進するのを、指をくわえて見ているわけにいかないのだ。
 27年間の獄中での日々に絶望をしなかったネルソン・マンデラの強さを改めて思うのだ。