ほぼ足りてまだ欲 その先

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歴史

 近現代史をほじくっていると、思わぬところから思わぬ情報が入ってくることがある。それは歴史として出てくるべき情報がすべてこれまでに公になっている訳ではないからでもある。これを歴史として成熟しているかいないかと論じることではない。たまたま期が熟するかそうでないかということではないかと思う。
 先日たまたまポツダム会議について話を聞く機会があって、それぞれのセクター、つまりここでは米国、英国、ソ連の三国ということになるのだけれど、がこの会議に臨んでどのようなスタンス、どのようなスタッフ、どのような状況だったかという話だった。彼らがどこの建物をどのように使ったか、というたかだかそれだけのことについても、実は説明されてきたことと真実との間に齟齬があったりしたのだそうだ。
 これに先立つヤルタ会談でも多くのことが語られていなかったようだ。ヤルタで交わされたドイツ降伏後ソ連が対日侵攻をするという意向を日本の関係者が情報として入手していながら日本の国内では握りつぶされたことと、当時の日本の政府が大変に大きな判断を誤っていたことは明らかに繋がっている訳だけれど、これを取り上げただけでも、時の政府がかほど容易に国家運営を過つのだということの証明になるだろう。
 今、私たちの国は明らかに大きな過ちを平気で犯そうとしていることに気がつく必要がある。これだけ情報をコントロールされれば、それは簡単なことであって、その点ではマスコミは大きな責任が肩に乗っていることを認識する必要がある。
 しかし、このことはこれまでのこの国の歴史の中でも嫌というほど、十分に経験してきたことである。それがことここに至っても簡単に忘れられてしまうのである。それはある種の意図を持っていないとこうはできないはずだろう。