わが父は明治の終わりの生まれだった。それも岡山の片田舎の生まれで、商売は船の修理だった。洒落たことに全く縁のない男だったから、何かに凝って何かに秀でたことができたわけでもないし、格好良いわけでもないし、ただ、自分の世界からしきゃ何も判断できない人だった。自分が中心でなくては我慢ができないというよりも、他の価値判断基準を持っていなかったから自分中心だと人からは見られてしまう。つまり、人とのつきあいはまぁ、ものの見事にへたっくそだった。
自分が否定されるなんて考えたこともなかったんだろうと思うと、あれもこれも合点がいくんだけれど、その時点で相対していた子どもとしてはなんて訳のわからん時代がかった価値観なんだと馬鹿にしていた。
で、ふと気がつくと、自分も正にそのままで、それはそういう風に育ってきちゃったんだから似てきちゃうのはそれはそれでしょうがないんだろう。自分の価値観を自分で作ってきたような気でいるんだけれど、その実そんなわけはなくて、やっぱりその影響下にあったんだなぁと、もう親父が死んでからこんなに経つというのにやれやれと思う今日この頃。