ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

 雨の中、錦織の快挙で気持ちよい朝だったので、久しぶりに築地にいった。滅多にいっていない。行かなくなっちゃったなぁ。睡眠がむちゃくちゃになっちゃってからというもの、日曜日の午前中に集中することに耐えられる状況になかなかならない。という理由ででれでれしちゃうんである。
 たまに行ったら病院付属の施設だったはずが、それまで併設されていた学校の方が主体になってその学校の付属病院になって、こっちも学校の付属施設になっていた。いや、実際の中身は全然変わっちゃいないんだけれどね。
 今日の話は辛い。毎日毎日が罪そのものだものなぁ、自分の生活を振り返ると。途中から真ん中を堂々とベビーカーを押しながら肩で風を切って入ってきた女性がいて、堂々たるもんだなぁと思ったら、最後まで堂々の塊だった。それで屈託がないから良いじゃないか、と思えれば良いんだけれど、そう思えない自分が実にどうもそのなんちゅうか。情けない。
 毎週のことながら、なくなった方の記念の日という意味で来られている方が紹介されると、そこでお立ちになるのは決まって女性の方で男性であったというのは滅多にない。ま、男の方で来られる方の絶対数が少ないというのもあるんだろうけれど、先に死んじゃうのが圧倒的に男だということなんじゃないかという気がしないでもない。どこの家でもその方が自然だし、子どもたちにとってもその方が俄然良いだろう。男親が一人で残って、子どもたちに面倒をかけるのは総じてウェルカムされなさそうだものなぁ。
 良く私が座る長いすは柱の真横でなかなか入りにくいし短いものだから、あんまり人は入ってこないけれど、今日は私が10分前に座ったら、後は誰も入ってこなかった。
 本を探して本屋を三軒行った。最初からほとんど空振りのない本屋に行けば良いのに、つい無精をして手近で間に合わせようとしたものだから、こんなことになった。

 多分文庫になるんじゃないか、と思って待っていた。多分いくら何でも単行本すべてを含んじゃないんだろう。何せあっちは長いもの。戸高は関係者が他界するまで他言を待っていたという。
戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)

戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)

 薄っぺらいんだけれど、カタカナだから最後まで読み切れるかどうか、自信がない。
九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

 著者は1967年生まれ。先日の「プロパガンダ・ラジオ」の著者とほぼ同年齢。
戦争の教室

戦争の教室

 どこでこの本を見かけたのか忘れてしまったけれど、頭の片隅にこびりついていた。

 さて、探して巡ったのはどれでしょう。10,118歩。