ほぼ足りてまだ欲 その先

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城山三郎

 かつて朝日新聞が「論座」という雑誌を出していた。大朝日ともあろうものが立ちゆかないといって2008年10月号で休刊してしまった雑誌である。それを私は後生大事にとってある。いつの号からあるのか点検したことはないけれど。それと岩波書店の「世界」だけは買えるときは買い置いてある。そんなら定期購読すれば入手忘れもせず、出版側も数が望めるんだからそうすれば良いのに、何しろ自分で書店にいって店頭で手にしてぱらぱらしながら帰ってくるのが良いのである。
 で、その二つの雑誌は家の隙間のようなところへ積み上げて地震で倒れないようにビニールひもで縛り付けてあった。それを近頃、娘が拾ってきた子猫がビニールひもにじゃれつき、あろう事か、囓り始めた。しかし、問題はこのビニールを猫が食べてしまったら大変だ、というところにあるとして、このひもをたこ糸で編んだものに変更せよという。仕方がないと雑誌の山を動かしたら、珍しくその山の中から「小説新潮」2008年1月号なんていうものが出てきた。まったく小説を読まない私がなんでこんな雑誌を買ったのかと思ったら特集が「城山三郎の流儀」というもので、「遺稿百二十枚一挙掲載"そうか、もう君はいないのか”」としてある。
 2000年2月に城山は妻・容子をガンで亡くしている。その妻の話である。なんだか読んでいると城山の奥さん大屋政子をとても上品にしたような快活さを感じる。
 初めて彼女と偶然遭遇したときに交わした連絡先にもらった約束の時・場所に、父親にいわれた絶交の文を携えて彼女が現れたというところで、お、そうそう、昔は「どこの馬の骨ともわからん奴にうちの娘をやれるか」と父親は言い放って良かったんだよなぁ、なんぞと思い、そんな扱いをされたこともあったなぁと想い出す。
 妻を亡くしたとき、城山三郎は72歳である。その7年後、城山は他界した。

そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

どうせ、あちらへは手ぶらで行く (新潮文庫)

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