ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

Publicity

 日本ではこれをなんと訳しているのかというと広報と翻訳している場合がほとんどでしょうか。しかし、面倒なことになっているのは、Public RelationsをPRといっていて、これが日本ではまったくadvertisementと同じ意味に使われてしまっていることでしょうか。そのおかげで、publicityということばもまったくそのように使われてしまっています。
 日本では広報という概念が理解されていないといっても良いのではないでしょうか。たとえばある組織が自らの活動についての情報をひろくお知らせするという行為全般を意味するのですが、それを誇大に表現するのではなく、そのままのスケールで伝えることを意味すると私は理解しています。
 どうしても誇大に表現してしまい、自分に都合の悪いことには口を閉じて、調子の良いことだけを伝えるのではこれは広報とはいいません。都合の悪いことでも、事実は事実として伝えなくてはなりません。
 だから、中国政府の広報官というのは正しい意味では「広報」ではありませんね。都合の悪いことについては口を閉ざしてしまいますから。日本の政府には広報官はいません。官房長官は都合の悪い指摘に対しては「それは当たりません」と切って捨ててしまいますから。
 3年半の間、自社の広報担当をしたことがあります。その時の上司はもうそろそろ80歳に手が届きそうですが、今でもご健在です。彼がどこで広報マンとしての役割を習得したのか知りませんが、まず口にしたのは「広報は嘘をついてはいけない」ということでした。一度でもその場しのぎで嘘をつくと、そこからは嘘をつき続けることになってしまって、泥沼に嵌まる結果になる。いくら役員やキーパーソンが嘘をつけといっても、それを説得して、嘘をつかない広報をやらなくてはならないのだといってくださいました。今でも私が現役だったときの二大上司のお一人です。もうお一方は私に「君に聞いているのは思うか思わないかではなくて、確かか、そうでないのかということだ」といってくださった方です。スタッフの役割はキーパーソンの手足となって確かな仕事をすることだと知りました。
 なんでこんなことをいっているのかと云ったら、ベッキー事件です。記者会見を開いて媒体を呼んだのに、一言の質問にも答えず、一方的に語ってそのまま解散にしてしまったという事件です。まぁ、芸能界なんだから、しょうがないんだといってしまえばそれまでですが、他山の石としての勉強材料としては典型的な間違いのケースなんです。