ほぼ足りてまだ欲 その先

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歳をとると

うちの死んだ父親は晩年急に神道に目覚めたらしくて、それまでそんなものがなかったのに、突然家の中に立派な神棚を釣り、毎朝榊をあげ、水と塩をあげていた。飼っていた小さな犬は、代が変わっても名前は変わらないという犬だったけれど、それの散歩と称して近所の神社まで行っては深々とこうべを垂れて長いこと動かずにいた。それを見たときは私はずいぶん驚いた。なにしろ自分は全くと言って良いほどその種のことには関心がなかったからだ。ひょっとするとなにごとか、忸怩たる思いをしたことがあったのか、それまでのあの親父の生活、感性から考えるに不思議だった。
ところが自分がそれに近い歳になってくると、これまでの人生の中で、後悔するような、恥ずかしいような、人にいえない類のことばかりが思い出されてくるような気がしてきた。そういうことに限って夢の中に出てきちゃったりして、目覚めると、あぁ、ゆめだったのか、とガックリくることがある。あぁ、こんなことから彼はそうして神道にすくいをもとめたのかもしれないなぁ、とおもうようになった。
うちの親父はもちろん戦争に行ったけれど、戦闘のことについては一切何もいわなかった。多分お袋にもいってなかったことだろう。