ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

姥捨て

 東京都議会議員のおときた駿って若造がバカなことを言っている。石原慎太郎が無料パスを廃止をしてしまい、有料となった「シルバーパス」を今度は全廃しろといっている(こちら)。
 このシルバーパスというのは東京都民の70歳以上で外に出て行ける高齢者には、課税対象となる所得を上回る場合は20,510円、それに満たない場合には1,000円で都営交通および都内を走る民間バスのほとんどにこれを見せるだけで乗ることができるというもの。
 良くわからないのだけれど、おときたによると「これを発行するために東京バス協会に対して、東京都が「補助交付金」として払う金額はおよそ170億円に及んでいます。高齢化を反映して発行枚数は年々増え続け、この財政負担は今後も毎年3〜5億円ずつ上昇する見込み」という。
 東京都の交通局の収入が減るだけなのだと思っていたのだけれど、余計な出費はいったい誰に対してなにを対価として支払われているんだろうか。民間バスに対して支払われているのか。だったらそこを考え直すことが必要だ。
 彼は「高齢者の交通を優遇することで、外出を促せる→街を出歩くようになって、健康状態が改善する→お買い物などもついでにして、経済まで活性化!」といわれているお題目が検証されていない」といっている。
 次には「なぜ「高齢者」を「交通」で優遇するのか」なんて愚問をあげている。三つ目には「本当に必要な人への救済策にならない」といっているのだけれど、じゃ、君に聞くんだけれど「本当に必要な人」とはいったい誰のことで、それはどのようにして選択するというのだろうか。意味がわからない。
 まず君は昼日中の都営バスに乗ったことがあるのか、繁華街から出発する都営バスの停留所の列を見たことがあるのか、といってやりたい。東京駅から池袋に行くのに、浅草で都バスを乗り換え、約1時間半かけて行く高齢者を見たことがあるのか。現場を見たら、そんなことをうだうだいうまでもないということが実に良くわかる。
 地下鉄によらず、JRによらず年寄りは電車に乗るがおっくうだ。それはなぜかといったら駅の構内は階段だらけで、エスカレーターがあったとしても、その脇を若者たちが「がんがん」と駈けるという恐ろしい状況となっている。地下鉄なんぞは途中までエスカレーターがあるけれど、その先は階段だけなんてのが極く普通にある。若いときは全然気にならなかったけれど、歳をとると、あれはがっかり来る。そしてホームに上がれば、「俊敏な」若者たちに邪魔者扱いをされ、電車にぶつかりそうな恐怖にさらされる。
 そこへ行くとバスはあのステップさえ登ることができれば横移動が楽にできる。ましてや低床バスであればなお助かることはこの上ない。そのステップだって、一段降りるのにようやくな人は、バスが自由になるからこそ出かけられる。
 おときた駿の軽率さは、歳をとると誰もが、(繰り返しておく)誰もが身体的な衰えを抱えることになり、筋肉もりもりだったり、マスター陸上に出て突っ走ることができたりするのは非常にまれな人であって(だからこそ取り上げられるのだ)、だからこうした制度が意味をなすのだ。歩けるうちは歩け、というが、歩けなくなった人はどこにも行くなというのかということだ。
 この種の福祉的サービスはいったん始まると既得権化する、と、おときた駿はいっているが、必要だから行われていることは現場を見なくてはわからない。
 一人一人のパスを見せて乗る高齢者がどんな気持ちでそれを運転手に見せているのか、君は知っているのか。特に戦前生まれの高齢者たちはお上から賜ったこの特権で乗り物に乗せていただいていることに対して恥ずかしさを感じていて、見せるときには「お願いします」とまでいって乗っている。降りるときに「ありがとう」といって降りていく人だっているのだ。こんなバスに乗るのにもスティグマを抱える人たちのことを考えていない。
 私も今年後半にはこのパスを申請できるので楽しみにしているのが実態なんだけれどね。とはいえ、おときた駿のこの提示には「年寄りの若手」として苦言を呈しておこう。