今の自民党の党内騒動を見ていると、非常に硬直化した企業の陥りがちなパターンそのものを見ているような気がする。たとえば、前経営陣が大規模な粉飾決算をして破綻に追い込まれた今話題の化粧品、繊維、食品業を抱えていたあの会社。「文句ある奴はどこまでも左遷しまくってやる」とそのまた前の「天皇」と呼ばれた経営者がやっていたことをそのまま振り回していた。これまた上場廃止になったあの鉄道会社の前経営者もしかりである。公共サービスを提供しているある民間会社ではまさに社長は「天皇」と呼ばれていた。オーナーでもなんでもないのに正に君臨していた。
こういう企業で共通に見られることに周囲にいるどの人よりもその「天皇」が優先する扱いをし続けるという傾向がある。しまいには自社のビルに入っていく時にお人払いがあり、エレベーターが既に確保されており、ご一行様以外は近寄れない。つまり、自社の社員が偶然乗り合わせるということがない。たまたまそこに来たお客だろうが全く配慮されなかったりする。そんなときに居合わせた客はできることなら二度とこんな会社とはつきあいたくないなぁという印象を持たせる。
粉飾決算をしたあの会社の前々社長は自分を批判する本が出版された時、彼がいいはじめたのか、あるいはその取り巻きがいいはじめたのか知らないが、目につくところにある本屋の店頭にあるものを買い占めたりしていた。批判を受け容れる素地がないということか。尤もそんな資質を持っている人はそんな立場には立つことができないのかもしれない。
現総裁は孤独な人だから、誰にも相談なんかしないで決断するという言い方を良く聞くけれど、そうであればどこかで総裁に対する不満が爆発してひっくり返ってもおかしくない。例の粉飾決算企業は若手が立ち上がって次々にその不正を調べ上げ、上場廃止にはなってしまったものの正しい企業に戻す苦労を背負い込んでいる。本当に辛い毎日には違いがないが、まさに義侠心にあふれるたたえるべき企業人の姿だろうと思う。
たかが(敢えて“たかが”というが)雇われ経営者のくせに39億円もの遺産を残せるような会社、文化、からくりというものが正しいわけがない。どこかしらに犠牲になっている人々、あるいは組織があり、人に言えないことが行われていなくてはなしえない。いや、なしえないような社会であるべきである。
しかしながら強引に誰がどんな声をかけようが知らん顔で挨拶することもなくぐいぐいとごり押ししていく人を見るとなぜか人間はその「力強さ」だけに心酔してしまう。そうなるとその渦の中に入って流れにくっついていくのが最も快適である。そしてそういう人たちは心の底からそう思っていようがいまいがその快適さをしたたかに手中にするのである。残念ながらぐいぐい行く人はその人の心の中まではわかっていないが、彼はわかる必要すら感じていない。そんなことは彼の生活にはなんの関係もないからである。
例の“刺客”女衆(馬鹿な表現だけれど)のひとり、桝添議員の前妻、財務省の片山さつき国際局開発機関課長(46)が囲む記者に応えて曰く、「首相は私たち官僚のトップですから、トップの仰ることことについては・・・」と。ほ、ほぉ〜、日本の官僚でこんなことを考えている人がいるとは思わなかった。みんな目の前の力関係に弄ばれて右往左往する政治屋を心の底から馬鹿にして「君らには本当のことはどうせ理解はできないよ」と腹の中でつぶやいている奴ばかりだと思っていた。
尤も日本の官僚がやっていることのほとんどは日常業務の遂行であって、それ以外に現状に先行して日本の社会を大きくとらえて創り上げていくという動きを見つけるのは至難の業である。教育にしても、厚生にしても産業政策にしてもほとんどが臨床的な対症療法の域を脱しているとは言い難い。
なにしろこれだけの高齢少子社会の流れの中にあっても、その政策を立案していく上で取り上げる前提データーをすら自分の都合の良いものを創り出して政治屋と結託していくのだから、先の片山某ではないが政治屋に隷属しているというのはあながち間違ってはいない。自らそういっているんだから誰も否定する必要がないし。
それでも、この強引、傲慢、国民のことを考えているといいながら自分の面子で動く、そんな総裁の支持率が56%を超えるというのだから、本当に平和な国である。
ここまでぐちゃぐちゃになってしまうともう面倒くさいから、衆議院なんてどうでも良いやぁ、という層が現出しそうだ。投票率がのびるとはちょっと期待できない。ということはどういうことかというと与党に大いに有利ということになるのがこれまでの当たり前な見方なんだろう。
内閣総理大臣談話(首相官邸サイトより)
私は、終戦六十年を迎えるに当たり、改めて今私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し、二度と我が国が戦争への道を歩んではならないとの決意を新たにするものであります。
先の大戦では、三百万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは、戦後遠い異郷の地に亡くなられています。
また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。
戦後我が国は、国民の不断の努力と多くの国々の支援により廃墟から立ち上がり、サンフランシスコ平和条約を受け入れて国際社会への復帰の第一歩を踏み出しました。いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を貫き、ODAや国連平和維持活動などを通じて世界の平和と繁栄のため物的・人的両面から積極的に貢献してまいりました。
我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の六十年であります。
我が国にあっては、戦後生まれの世代が人口の七割を超えています。日本国民はひとしく、自らの体験や平和を志向する教育を通じて、国際平和を心から希求しています。今世界各地で青年海外協力隊などの多くの日本人が平和と人道支援のために活躍し、現地の人々から信頼と高い評価を受けています。また、アジア諸国との間でもかつてないほど経済、文化等幅広い分野での交流が深まっています。とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だと考えます。過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています。
国際社会は今、途上国の開発や貧困の克服、地球環境の保全、大量破壊兵器不拡散、テロの防止・根絶などかつては想像もできなかったような複雑かつ困難な課題に直面しています。我が国は、世界平和に貢献するために、不戦の誓いを堅持し、唯一の被爆国としての体験や戦後六十年の歩みを踏まえ、国際社会の責任ある一員としての役割を積極的に果たしていく考えです。
戦後六十年という節目のこの年に、平和を愛する我が国は、志を同じくするすべての国々とともに人類全体の平和と繁栄を実現するため全力を尽くすことを改めて表明いたします。
平成十七年八月十五日内閣総理大臣 小泉 純一郎
村山さんがいった話よりも一歩踏み込んでいるというのがおおかたの第一印象だったようである。これだけのことをいうのであったら何故直接的に各地で直面して表明してこないのか。この談話を読むといままさに「賛成なのか、反対なのか!」と胸ぐらつかんで大きな声で迫っている人のようには思えない。そして、こんな印象を持つことのいかにもの状況が悲しいのだけれど、この人が中心からこの談話の一言一言を語っているように感じられない。「どうだ、これでなんの文句があるというんだっ!」とほくそ笑むという雰囲気に充ち満ちている。後ろを向いて「ざまぁみろ、文句をつけてみろってんだ!」と下品な顔で舌を出していてるところが思い浮かんでしまう。
「参議院では丁寧に応えているんだ」とうそぶいていた時の状況そのものである。
長いものには巻かれたら
カーティス・ルメイの計画で日本各地に絨毯爆撃が行われたことは既に書いた。敗戦記念日の今日、ラジオではあちらでもこちらでも戦争の想い出が語られている。多くの戦争の想い出は日本の一人一人の市民が如何に空襲で苦しめられたか、如何に身近に暮らしていた普通の市民が痛々しく死んでいったかということが語られる。もう勘弁してください、というほどの物語である。みんなが犠牲者であるということは間違いがない。たとえ、それが防空演習で近所の人たちを「そんなことができなくてどうする!」と激しく叱咤した人であったとしても、また新兵同士を向かい合わせてお互いを殴らせた古参兵であったとしても、彼らも既に国の流れの中でそうせざるを得なかったのかもしれないわけで、そういう意味ではある種の犠牲者でもある。それは戦争の常ではあるが被害者は同時に加害者であるということだ。
しかし、そんなことを認めるのはなかなか愉快なことではない。様々なことを自分の肩に背負い込まなくてはならない。精神的に負担が大きく毎日が楽しくなくて鬱陶しい。だから、誰もいじめてなんていないと常に自分を正当化していなくてはならない。だから、そんなことを認めるという面倒なことはしたくない。時代の体制について歩いていればそれで良いし、それがもっとも賛同を得られて自分を満足させることができる。
そのひとつの好例が今度の自民党である。
教文館にて
毎回思うんだけれども、銀座教文館の一階の雑誌売り場はこれ以上どうにもならないんだろうなぁ。「失礼!」といわないと奥には絶対に入れない。その代わり、自分が探している時に入ってくる人は必ず一言も言わずにわたしの目の前をグイッ!と横切っていく。そうかといって上に上げてしまってはお客さんは入ってこないだろうし。
- COYOTE No.7をようやく入手。今回の特集は「動物園」である。最近とみに動物園についての話題が豊富である。私にとっての動物園の原点は横浜野毛山の動物園、そして猿山といえば多摩川園である。あ、この話ブログに書いたような気がする。
- 「面白半分」 宮武外骨 河出文庫:宮武外骨著作集全八巻に復刻して収録されていると注記あり。どうやらここ10年間、油断している間に外骨先生はまたまた有名になってきているのかもしれないなぁと思ったら、編者として吉野孝雄氏の名前が。なるほど。
- 「戦中・戦後 気侭画帳」武井武雄 ちくま学芸文庫:著者は1983年に90歳を前に逝去された童画家。文庫本の最後に「本書は筑摩書房より1973年に刊行された「戦中気侭画帳」と「戦後気侭画帳」を合本にし、文字を活字にしたものである」としてある。この本の面白いところは文庫本を90度時計と反対方向にまわし、上に開いてページを繰っていく本である。ご本人が「まえがき」に書いているが「和紙判取り帳が手に入ったので」昭和12年から24年11月まで5冊を書いたとしてある。絵が描かれているだけではなくて、その中に説明書きがしてあり、まさに絵日記である。