ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

長いものには巻かれたら

 カーティス・ルメイの計画で日本各地に絨毯爆撃が行われたことは既に書いた。敗戦記念日の今日、ラジオではあちらでもこちらでも戦争の想い出が語られている。多くの戦争の想い出は日本の一人一人の市民が如何に空襲で苦しめられたか、如何に身近に暮らしていた普通の市民が痛々しく死んでいったかということが語られる。もう勘弁してください、というほどの物語である。みんなが犠牲者であるということは間違いがない。たとえ、それが防空演習で近所の人たちを「そんなことができなくてどうする!」と激しく叱咤した人であったとしても、また新兵同士を向かい合わせてお互いを殴らせた古参兵であったとしても、彼らも既に国の流れの中でそうせざるを得なかったのかもしれないわけで、そういう意味ではある種の犠牲者でもある。それは戦争の常ではあるが被害者は同時に加害者であるということだ。
 しかし、そんなことを認めるのはなかなか愉快なことではない。様々なことを自分の肩に背負い込まなくてはならない。精神的に負担が大きく毎日が楽しくなくて鬱陶しい。だから、誰もいじめてなんていないと常に自分を正当化していなくてはならない。だから、そんなことを認めるという面倒なことはしたくない。時代の体制について歩いていればそれで良いし、それがもっとも賛同を得られて自分を満足させることができる。
そのひとつの好例が今度の自民党である。