桂米朝
7日(水)のこと。鰤かまの美味しいところを塩焼きにした夕食を終え、いつものクローズアップ現代がちょっと興味を持てなかったので、止めてチャンネルを動かすとNHKのBS-2に国宝・米朝師が映る。やけに若い。と思ったら隣にいるのは桂枝雀で、そのまた横に立っているのは司会をしている坂本九だ。もう既に二人とも鬼籍に入っている。
なんだろうこれは、と思うところに小沢昭一がこれまた若々しく登場する。この二人の接点は一体なんだろうと思ったら、あの正岡容だというのである。勿論こんなことは落語の世界に昔からお詳しい方々であれば十分承知の助なんだろうが、そっち方面に少しの機転も聴かなかった私にとっては知らないことだらけなのである。
桂米朝、小沢昭一、大西信行、永井啓夫というところがみなさん正岡容門下ということになっているらしい。この番組の中の話ではもちろん小沢昭一の学友、加藤武も名前が出てくる。米朝が「(この番組放映の時点で)もう40年も前のことで」というから戦後すぐに大東文化学院在学中に正岡の元にやってきてのだろうか、小沢の話だと小沢よりも2-3年兄弟子だというような話だった。1947年には4代目桂米団治に入門したのだという。当時は関西の落語を再興できる日がやってくるのかと不安だったというのだから時代の変遷を感じる。最後に米朝が「焼塩」を演じて見せた。1985年3月7日 総合テレビで放映したもので、収録は「こまばエミナース」だそうだ。
NHKのBS-2では、この14日(水)19:45から「東西落語名人会 落語「七度狐」(初回放送:1990年9月23日)、11月21日(水)19:45からは「日本の話芸 落語「本能寺」(初回放送:1996年3月22日)とそれぞれ桂米朝の落語を聞くことができる。こんなことをいったら叱られるだろうが、きちんと今のうちに聴いておかないと(といっても随分前の録画だけれど)ね。そういえば昔の「11PM」の安藤孝子、藤本義一司会の大阪の番組に度々桂米朝が加わっていたことを思い出す。
図書館廃棄本
地元の図書館は年に一度廃棄本をどっと出す。ちょっと前までは好きなだけ持っていってください、だった。それが最近は一冊10円になっていた。今日朝一番にいってみると「単行本50円、その他10円」になっていた。30冊で1300円を支払ってえっさえっさと運んできた。傘を差しながら袋を支えて持って帰ってくる限界だった。
ひと休みをしてから結構知られているモヤシソバの店に昼食に行く。モヤシソバだというのだから当然中華で、入ってみると他にも湯麺やらチャーシュー麺やらあるのだけれど、ここの店に来る客のほとんどはこの「モヤシソバ」を注文する。店の壁にはやけに噺家の色紙が貼ってある。そういえば寄席から近い。わが家は外ではほとんど中華ソバを食すことがない。どうせ喰うなら日本ソバである。だから、それほどでもないのだろうけれど、やけに脂分をたっぷり取ったような気がする。麺が細い平打ち麺のようなソバで、そのものは嫌いじゃないというよりは、むしろ好きな部類だけれど、脂分が私には余計だった。
その帰路、また図書館に行く。粘る。そのうちに吉田茂「回想十年」の三巻と四巻を発見。すぐに一巻を発見。後は二巻を発見するだけでよい。ところがこの二巻がまったく見つからない。そのうちに係りのおじさんが「今から単行本は10円、その他は篭一杯で100円にしまぁ〜す!」とやおら叫ぶ。オイオイ、なんちゅう値下げだよ。会計のところで若い兄ちゃんが「たった今買ったんだけど、負けてくれよぉ〜」と談判している。どうなったか知らない。でもいくらなんでも、こんな本を一冊10円はないだろうと思うが、考えてみれば2-3年前はただで持って行っていた。粘りに粘って、遂に「回想十年」の二巻を発見す。もう涙である。ガックリと疲れが出る。しかし、ここで気を許してはならじ。月刊現代の山から保阪正康が書いている号だけを抜き出す。後で見たら同じ号を二冊持ってきているものまである。傾向を問わずみすず書房の本を見付けたらまず入手。戦後史にからんだものはまず篭に。しまいには談志、悠玄亭玉介まで入手。
疲れ果ててしまった。後ほど全リストをアップの予定。
廃棄本取得全リスト
<あの戦争がらみ>
- 「回想十年(1-4)」 吉田茂著 新潮社1957発行-1958第八刷
- 「戦後五〇年メディアの検証」 朝日新聞取材班著 三一書房 1996
- 「ドイツ企業の戦後責任 奴隷以下」ベンジャミン・B・フェレンツ著 住岡良明・凱風社編集部共訳 凱風社 1993
- 「動員学徒 慟哭の証言」財団法人広島県動員学徒等犠牲者の会 2007(画家の平山郁夫も被爆者なのだということを知る。)
- 「MPのジープから見た占領下の東京」原田弘著 草思社 1994
- 「8月15日の子どもたち」 あの日を記録する会編 晶文社1987:記録総数672編の当時国民学校の生徒達の記憶。疎開していた子どもたちの数は一体どれほどいたのだろうか。あの頃軽井沢に朝鮮から連れてこられた兵隊がいたという。一体なんのために?
- 「拒否された個人の正義 日経米人強制収容の記録」読売新聞社外報部訳編 三省堂 1983:1983年に発表されたThe Commission on Wartime Relocation and Internment of Civiliansの報告書の第二部「アリューシャン列島出身者―アラスカにおける戦争と立ちのき」を割愛し、重複部分を省略したものとまえがきに注記。
- 「別冊一億人の昭和史 日本植民地史2 満州 日露戦争から建国・滅亡まで」毎日新聞社 1978
- 「ぼくらの太平洋戦争」本多公栄著 鳩の森書房 1973:著者は当時文京二中の教師。1972年3月2日に二年生の社会の時間に戦争中の日本軍がどの様に行動し、それに対してどの様な抵抗運動が行われたかが綴られたアジア各国の教科書の抜粋を配った。そして課題は「アジアの中学生の友へ手紙を書く」というものだったという。勿論親たちからの反発もあったそうだ。今だったらもっと大きな問題になるんだろう。70年代という時代はまだ、そうしたことが今よりも充分に考えることのできる力を持っていた。
- 「少女たちの昭和史」秋山正美著 新潮社 1992
- 「平和の発見 巣鴨の生と死の記録」花山信勝著 百華苑 1949-1970改訂-1995十刷:著者は戦犯教戒師である。
- 「戦後教育の原典3 極東裁判-教育証言の記録」国民教育研究所編 現代史出版会 1975:どうやらこれは古本屋から図書館に来たようだ。
- 「黙殺 ポツダム宣言の真実と日本の運命 上・下」仲晃著 NHKブックス891-892 2000
- 「東方見聞録(1-2)」マルコ・ポーロ著 愛宕松男訳注 1970-1980第14刷
- 「中国・朝鮮論」吉野作造著 松尾尊みつ(ハの下に允)編 1970-1982第9刷
- 「聖フランシスコ・ザビエル全書簡(3)」河野純徳訳 1994:残念ながら第三巻のみ。他の二冊はどこかに埋もれていたのかもしれない。
<みすず書房刊であれば・・>
- 「何のための教師」G・ギュスドルフ著 小倉志祥・高橋勝共訳 1972
- 「少年時代」J.M.クッツェー著 くぼたのぞみ訳 1999
- 「ミセス・スティーヴンズは人魚の歌を聞く」メイ・サートン著 大社淑子訳 1993
- 「オルレアンのうわさ 女性誘拐のうわさとその神話作用」エドガール・モラン著 杉山光信訳 1973
- 「美徳なき時代」アラスデア・マッキンタイア著 篠崎榮訳 1993
- 「他の岬 ヨーロッパと民主主義」ジャック・デリダ著 高橋哲哉・鵜飼哲訳 1993
- 「死海写本 発見と論争1947-1969」エドマンド・ウィルスン著 桂田重利訳 1979
<芸能系>
<その他>
- 「回想するジョン・レノン 『ビートルズ革命』改題」インタビュアー;ヤーン・ウェナー 片岡義男・三木卓訳 草思社 1972―1984新版第12刷
- 「完全なる敗北 北極点をめぐる栄光と汚辱」ヒュウ・イームズ著 池央耿訳 文化放送 1975
- 「アジア人と日本人」鶴見良行 晶文社 1980-1986六刷
- 「公共性の喪失(The Fall of Public Man)」リチャード・セネット著 北山克彦・高階悟訳 晶文社 1991
- 「コミュニティ イングランドのある町の生活 (Working Class Community)」ブライアン・ジャクスン著 大石俊訳 晶文社 1984
- 「原題の教養15 世界のなかの日本人」編集・解説臼井吉見 筑摩書房 1966
- 「密約 外務省機密漏洩事件」澤地久枝 中央公論社1974-1978増補
- 「現象学的社会学は何を問うのか」編著 西原和久・張江洋直・井出裕久・佐野正彦 勁草書房 1998
- 「日本の文学 41 中野重治」中央公論 1967
- 「人と思想 平塚らいてう」小林登美枝著 清水書院 1983-2001第五刷
- 「イギリスは不思議だ」林望 平凡社コロナブックス 1997:リンボウ先生の本を初めて見たのは文春文庫の「イギリスはおいしい」だったのだろう。しかし、あの本が文庫として出版されたのは1995年の9月で、当時私は日本にいなかったわけで、一体どこでどう入手したのかが思い出せない。それが随分好評だったのか、あるいは単行本の時から好評だったのか私は知らないが、その辺からどんどんそのシリーズものらしきものが出版された。私にとっては当時暮らしていた豪州の習慣や習わしの由来をこのシリーズから解明していたという、まぁ、いわば教科書のようなものであった。その点では1995年の5月に同じく文春文庫化された「ホルムヘッドの謎」が最も参考になったといっても良いかもしれない。彼の自伝的小説といわれている「東京坊ちゃん」なるものが小学館から文庫化されているそうである。ところで、リンボウ先生、あぁたは「ロンドンに行ったらヴァッキンガムだの、ロンドン塔だのそんなところしか見ないで過ぎていく」と仰るけれど、初めてロンドンに遊びに行ったら、やっぱりそっちを見たいのは人情ですぜ。二回目に行くチャンスがあったらそのウィンブルドンの風車も観にいきたいもんですなぁ。多分二度目はないだろうけれど。
- 「日本の先住民族 アイヌ」野村義一・山川力・手島武雅著 部落解放研究所 1993
- 「銀座百話」篠田鑛造著 小西四郎解説 角川選書65 1974:銀座の三越の裏の方が「曖昧屋」があったあたりなんだそうで、そういわれてみると、あの辺は60年代でも子ども(というには少々生意気盛りだったけれど)心になんとなく、冷や冷やしながら面白そうな雰囲気に満ちていたような覚えである。それに反して服部時計店の裏側は英語塾やら女学校があった地域なんだそうだ。これまた、ヘェ〜である。
- 「銀座育ち 回想の明治・大正・昭和」小泉孝・小泉和子著 朝日選書562 1996:この本は出た頃から(といっても前にも書いたように当時は日本にいなかったから多分出張かなんかで帰国した時に見たのだろうと思うが)知っていたのだけれど、なにしろ分厚くて、この同じ苗字の二人の著者が夫婦かなんかで、鼻持ちならないような内容だったら嫌だなぁと思っていて手を出さなかった。今手にしてみると孝が父親で、苦学して東京市の技術系職員。戦後は特別調達庁で進駐軍住宅の整備に従事。和子は娘で1933年生まれ、女子美の洋画を出て、東大の建築史研究室で日本家具、室内意匠史の研究。父が文献カードに書き込んだ中身を含めて書にしたというが、その父が良く引用したのが、あの森銑三の「明治東京逸聞史」だというのである。なんだこんなことならもっと早く読んでおけば良かった。
- 「外国人労働者論 現状から理論へ」伊豫谷登士翁・梶田孝道編 弘文堂 1992
- 「世界がもし100人の村だったら」再話池田香代子、対訳C.ダグラス・ラミス マガジンハウス 2001:よく知られた話だけれど、手元にあっても良いかなと。
- 「峻烈なる洞察と寛容 内村鑑三をめぐって」武田清子 教文館 1995
- 「家父長制と資本制 マルクス主義フェミニズムの地平」上野千鶴子著 岩波書店 1990
<中公新書>
- 「物語 北欧の歴史 モデル国家の生成」武田龍夫著 中公新書1131 1993
- 「終身雇用制と日本文化 ゲーム論的アプローチ」荒井一博著 中公新書1349 1997
- 「もうひとつのイギリス史 野と町の物語」小池滋著 中公新書1032 1991
- 「物語 アイルランドの歴史 欧州連合に賭ける“妖精の国”」波多野裕造著 中公新書1215 1994
- 「大川周明 ある復古革新主義者の思想」大塚健洋著 中公新書1276 1995
<月刊現代>
<岩波ブックレット>