ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

2011年終わる・・・かな?

 今年は振り返るのが辛いな。
 何が辛いっていって経済産業省のシレッとした偉そうな、言葉の上で誤魔化すことにしか能力を発揮できない、それでいて高給を取っていて、自分は民間のどんな奴より偉いと思っているあいつらがやりたい放題をしているのをひっくり返せないでいる国民が悲しくて辛い。
 あいつらはとことん国民を舐めきっている。小学校に入る時から大塚かなんかで良い点取っていたから、テストで点数をたたき出せない奴らはバカだと思っている。そしてそういう連中は一般人は、自分達、東大を出たエリートのいうことを聴いていれば良いんだと、本当に思っている。そんなことはない、中には本当に真剣に国民のことを思って役人になった連中だっているんだという声が必ず出てくるんだけれど、そんなことはない。
 自分がどんなに苦労してここまで来るのに頑張ったんだと主張していても、その結果として一度でも天下りして余計に退職金を手にしたところで、もうすでに舐めきっている。足下にひれ伏している連中を見下ろすことになれちゃっている。原発がこんな具合になっていたんだと大ばれにばれちゃったって、言葉の上で誤魔化せば良いんだから、おふざけも良いところだ。東大って学校が如何にこの国に資することになっていないのか、いやというほどわかった気がする。
 彼らが糸を引いている政治家なんてチョロいもんだよ。どんなことを云っていたって、こんな簡単にひっくり返るんだもの。だから余計に奴らは調子に乗る。どんな政治家よりも自分の方が頭がいいと思っている。こうなると頭がいいかどうかなんてのは本来的には役人として仕事を始める決め手にはならないってことだよ。これしか、能力を見極めるスケールとして機能していない理由はなんだろうか。
 人間性というか、純粋な国家公務員として国家・国民に資するという動機はなんだ、という点を見極めるスケールというものはないものだろうか。そのためには利権化されない仕組みが必要だろう。やっぱり、天下りができないという方法を考えなくてはならない。例えば60歳で退官したら二度と役所に足を踏み入れることができないというルールをつくるとか。そうすると天下りしてもその企業のために役に立たないとか。
 そんなことをしたら優秀な人材が国家公務員に応募してこないという声がある。それならそれで結構だ。給料も安くて、天下りなんてできない。60歳以降だったら他の全く違う分野だったら好きに働いて貰おうじゃないの。それでも心ある若者はやってくる。本当に国に自分の力を捧げたいと思っている若者にやって貰おうじゃないの。したり顔で、(俺以外に勉強できる奴はそんなにいねぇんだよ)と口の端でいっているような奴は来なくて結構だよ。そんな奴はどんどんアメリカいって金融の虚業でお稼ぎになったらよいのではないだろうか。
 霞ヶ関を変えないと、この国は変わらない。それを変えられるのは一体誰だろうか。問題はそこにあるんだよ。辛いなぁ、本当に。

ロマンといったら馬鹿にされる

 前に書いたように造船所で働いていた。造船所というところは船を造るところだから、当然次から次に船ができる。できた船はどうやって出荷するかというと、自分で動いていく。動くことができるんだから。動かなかったらなんのために造ったのかわからない。
 で、これができた時にみんなでこれを送り出す。僕たちが造っていた船というのが概ね載荷重量2万噸くらいの船だったから、いわゆる外航船という類で、税関がやってきて手続きを完了すると自由に行き来できなくなる。タラップを使って行き来するのでも税関にいって船陸通行許可というものを取って行き来することになる。
 いよいよ出港ということになるとみんなで船上の乗組員との間に何色ものテープを何本もやりとりをする。さんざん揉めながら造り上げた船の連中ともこの日はにこにこ顔でやりとりする。タグボートがやってきて、ムアリング・ロープをとって引っ張ると、造船所の岸壁と船の間にすぅ〜っと海面が覗く。あ、とうとうこの時がやってきた。係りの遠藤さんと川口さんが準備してくれた「蛍の光」のレコードが鳴り始める。この船がここまで来るのに起きた様々なことが思い出される。こんな時の「蛍の光」はなんとも心に沁みるのだ。おセンチそのものじゃないかと笑われようがなんだろうが、心に沁みるのである。この辺りでまず胸つまる第一弾が訪れる。
 あっという間に岸壁と船の間の水面がどんどん拡がっていく。テープがどんどん延びていく。辛うじて繋がっている一本を見付けて、みんなでどんどん繋げて伸ばしていく。とうとうぷっつんと切れてしまう。あぁ〜といいながらみんないい顔をしている。船のプロペラが、ドゥ〜ンという音がして、ばっしゃぁ〜んと廻る。思わず、おぉ〜といった途端に目尻に涙が滲む。悟られまいとしたところで、多分船の船長がボタンを押したんだろう、ながぁ〜く「ぼぉ〜〜〜」と汽笛が鳴る。もう我慢ができないけれど、それでも歯を食いしばって涙をこらえる。良かったなぁ、この仕事をしていて良かったなぁと本当に思える時だ。
 造船所で働いた人たちの多くはこの時を忘れられないでいる。進水式は確かに華やかだけれど、あれは工程の中のホンのひとつのポイントに過ぎない。ところが完成してからの出港は産みの喜びなのだ。それが「船はロマンだ」といってしまう所以なのだ。
 口の悪い人たちにいわせると造船に絡んだ連中はそんなことをいっているから、世の中の変化についていけずにいつまでもそんな分野にしがみついているからいけないんだという。確かに効率からいったら、もう中国の造船業界にかなわない状況に立っているといって間違いはないだろう。だけれども「効率」だけで終わらないものが世の中にはやっぱり存在するらしい。