ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

ヤンボーニンボートンボー

 ラジオ深夜便というNHKの深夜放送は今や中年から高齢者にとっては深夜の救い主かも知れない。
昨日も夜の9時半になったらどうにも眠くて仕方なくて、とうとう着替えて寝てしまった。起きたら午前2時だった。しょうがない、ラジオに手が伸びる。まず聞いていたのはTBSのサマーズの「ぎゃくにあれだろ」だった。これは木曜日早朝の小堺と関根勤の「こざきんでわぉ〜」に次ぐお気に入り。これが終わってから深夜便にいってみるとかつての童謡歌手河田姉妹のどちらかの甥御さんが解説をしている戦後の童謡シリーズになっていた。
 NHK紅白歌合戦終戦の年、1945年の大晦日に開かれた「紅白音楽試合」だったという。なんでまたこんな変なタイトルだったのかと思ったら、当初紅白歌合戦だったのに、GHQの検閲を受けるときにこれを翻訳した人が「合戦」をbattleと翻訳したものだから、ついこの前まで戦争していたのに、ここに来てまたbattleというのは如何かというので、許可にならなかったらしい。今になってはお笑いだ。これは毎年行われていたわけでもないらしくて、1953年の正月に第3回だか4回が開かれ、同じ年の大晦日にまた開かれ、それから毎年大晦に開かれることになったという。1953年といえば今年NHKが大々的にテレビ50周年キャンペーンを繰り広げているようにテレビが始まった。

 この年の正月の紅白歌合戦美空ひばりが初出演したのだが、各ジャンルから出演をしていたそうで、童謡の河田某も出演していたという。

 さて、童謡だが、今日かかっていたのは鐘の鳴る丘のあの主題歌、紅孔雀、笛吹童子なんてところも。
鐘の鳴る丘はわがやにSPレコードがあって、ツベルクリンが陽転した小学校一年生の二学期(1954年)、つまり私が学校に行かれなかった時期にしょっちゅう電蓄でかけていた曲のひとつである。この曲は確か題名を「とんがり帽子」とかいっていたような気がする。

 当時、家から一歩も出ることが許されず、とにかく寝ていなくてはいけなかった私はラジオばかりを聴いていた。NHKのラジオ第二放送は小学校で聴くための番組をいくつかやっていた。視聴覚教育のはしりとでも言うものだったのだろう。(あ、聴覚教育か!)
 その中で今でも忘れられないのは日本各地の話題を取り上げる番組で、タイトルを「マイクの旅」といったような気がする。太宰久雄という役者がこのマイクさんだったのだが、彼は後年、渥美清の「男はつらいよ」シリーズでとなりのたこ社長として知られるに至った。この番組は週に同じものが2-3回放送されていた。早く次の回にならないものかと思いながら同じ番組を聴いていた。当時の私は年がら年中浴衣のような寝間着で過ごしていたわけで、可哀想だからというので飼い始めたと思われる真っ黒な秋田犬の子犬を抱えている写真を見ると、そんな格好に前ゴムの運動靴を履いている。この犬があとになってとんでもなく大きくなっている。

 深夜便でかかったもうひとつの曲が猿の三兄弟のお話、「やんぼう、にんぼう、とんぼう」だった。♪しっかりもののやんぼ〜=里見京子、♪あばれんぼうの、にんぼ〜=横山道代、♪かわいい○○(覚えていない)とんぼ〜=黒柳徹子がその声をやっていた。飯沢匡作詞、服部正作曲らしい。
この三人はこれ以降かなり長いこといろいろなところで一緒に出演している。たぶんNHKのお抱えというかお気に入りだったのだと思う。後年のテレビのぬいぐるみ劇、「ぶ〜、ふ〜、う〜」はこの三人ではなかったのだろうか。テレビでの私の大のお気に入りだった「ちろりん村とクルミの木」でもこの三人は出演している。里見京子クルミのクル子ちゃん、お父さんはクルミの頑固さん、ってこのへんの名前はすごいなぁ。横山道代は・・思い出せない。桜京美(河童のコン吉)や辻村直人(モグラのもぐもぐさん)と同じように動物系だったかも知れない。黒柳徹子は・・・これも思い出せない。これもまた不確かだけど、「若い季節」にもこの三人はでていたような気がする。この辺の話はきっとどこかで書かれているかも知れないが、「徹子の部屋」で徹底的にやって欲しい気がする。

このころのラジオはとても印象深い。
 相撲中継もラジオで聴いていた。当時は仕切の時間がえらく長かった。なかなか立ち上がらなかった。制限時間いっぱいになると、観客がわぁ〜という声を上げるのでようやくそうと知れるのだった。ひとりで8畳間の真ん中で仕切をしていた。なんちゅう子どもや。

 もうひとつNHKで覚えているのは「うたのおばさん」という番組。今こんな題名をつけたら出演者はいないだろ!この番組は童謡をがんがん歌ってくれるというものだったのだけど、確かおばさんやくには二人いたような気がする。
 その一人は松田としさんといったと思う。しかし、私はこのおばさんよりもう一人のおばさんの方が好きだったような気がする。松田さんはなんだかきついイメージを持っていた。で、今サイトで調べてみたら、もう一人は安西愛子さんといって、例のタレント議員真っ盛りの頃に参議院議員なんかになっちゃってる。おいおい、これはないだろ!? 
 「うたのおばさん」は1949年から15年間続いていたというから、すごいなぁ!ついでにもうひとつ驚いちゃうのがこの安西愛子の息子が芸大を出て学習院中等部の先生になっている。しかも私と同じ年齢。ということは安西愛子は息子が2歳の時から「うたのおばさん」だったんだ!しかし、一体何歳なんだ?

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/2049/chirorin.html
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/2049/bufuwo.html
このサイトで探した!
 横山道代はタマネギの「トンペイ」で、黒柳徹子はピーナッツのピー子ちゃんだった!しかし、ぶーふーうーは里見京子黒柳徹子は出ているのに、横山道代はでていなかった。どうしちゃったんだろ?このサイトはいってみる価値十分!
 ロンパールームの「ぬいぐるみがおいてあった事件」についても言及されている。あの話は友人の西野君が勝手に作った話だと思っていたんだけど、違うの?!

http://www.e-65.net/forum/yomiuri/panel.htm
 こんなところでその後の横山道代を発見!これは本名だったんだ!やっぱり若い季節にも出演しているよ!還暦を契機に芸名を変えたんだって。