ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

身代金?

例の三人の人質を解放するために20億円の身代金を払っているという噂が飛んでいると聞く。なんでも日本テレビの報道がどうとか、こうとかいわれているらしい。
それにしても、「自己責任」という言葉が日本のマスコミで語られ、それを読んだ人たちがこんなに大きな声で言うとはまったく思いもよらなかった。
何せ、今まで日本人は自己責任ということをまったく考えもせず、人の所為(せい)にすることで成り立ってきた社会だと思っていたからだ。

 「動機は善意のあるものだとしても、外務省が出していた勧告を無視して入国したのだから自業自得」という論理にはただただあきれかえるばかりだった。


  1. 外務省の勧告を一体どれほどの人が知っているのだろうか。
  2. 外務省の勧告を知っている人の中で一体どれほどの人が、あの勧告を信用しているだろうか。いつも過剰な勧告がでることを知っている人は多い。
  3. いざとなったら在外の日本大使館、公使館、領事館が在留邦人を守ってくれると信じている人がどれほどいるだろうか。

つまり、あの三人は「自己責任」のもとに出かけたにすぎない。いつもの程度の官僚への信頼を持っていたに過ぎない。

そして、自己責任を備えた人間だったら第三者に救出を期待するなという論理はここでは無意味だ。捉えられていた三人は日本政府に助けてくれとその当時は訴えるわけにはいかなかった。家族は「どうぞ皆さん助けてください」といった。だから、その家族は甘ったれだという論理はまったく自己中心的な考え方で、これは単なる他岸の火事的論評に他ならない。
国家は如何なることがあろうと市民を保護する役割がある。
それはその市民がどんな人であろうとその役割があるということである。
その国家にとって「役に立つから保護する」のではなく、その国の市民であるからこそ保護する役割があるのである。

国家にとってなんのメリットがなかったとしても、その市民は保護されるべきなのである。
「役に立たないから保護しない」という論理は優生保護思想そのものでもある。