ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

うまいもの

nsw20722004-06-08

 うまいものには誰しも眼がない。そんなこたぁないんだよ、という奴はひょっとするといるかも知れないけれど、ほとんどそんな奴はいないだろう。

 私は実を云うと自分では本当に心配しているのだが、味音痴なのかもしれないのである。というのは自分で味付けをしても自分で納得できたことがないのだ。だから、家で料理をした時には、最後は必ずうちのベテラン料理人のだめ出しおよびその修正を担当してもらうことになっている。


 例えば餃子を作る時も、とんとん、材料を刻み、塩もみして水を切り、それに塩、こしょう、牡蠣ソース、ごま油なんかで下味を付けて寝かせ、(これは買い物の)餃子の皮に包むところまでは担当するが、最後のかりっと焼き上げるところはうちの専属料理人に任せる。こうするとその餃子はカリッカリに焼き上がる。餃子の場合はこの焼き上げ方が最後の味付けといって良い。これをかぼす醤油と豆板醤のタレでいただくといくらでも食べられてしまう。


 例えばドライカレーを作ったとする。野菜を、タマネギのみじん切りからくたくたと炒め始め、セロリ、(連れ合いに嫌がられながら)ピーマン、トマト、茄子なんてものまでみじん切りしてくたくた炒める。(とにかく、とことんみじん切りは大好き。)そして、塩、こしょうを加え、香辛料をいくらかは合わせる。
 だけれども最後の味付けはどうしてもベテラン専属(まだいってる)料理人(時にはベテラン洗濯人にもなったりする)に頼ることになる。


 そんなわけで、自分では味音痴なのではないかと心配しているのではあるが、おいしいものを食べる、という点ではまぁ問題はないのだろうとは思っている。


 で、今日は日頃お世話になっている人に、これまでの人生の中で味わった中でベスト3には間違いなくランクされるという鮨をごちそうになったのである。とにかく種の新鮮さだけで喰わせるものではなく、昔ながらの江戸前ので細かく、時間と手間をかけて仕込みに仕込んだ造りの数々であった。久方ぶりの珠玉を口にできたことを感謝、感謝である。


 とにかく、その店で旦那とおかみさんが強調していたのは、水なのである。実はそこは豊島区から板橋区にちょろっと入ったところにあるんだけれども、なんと井戸水を使っているのだという。仕入れた魚をその井戸水に天然の塩を溶かした水につけておくと魚の色がみるみる変わるというのである。氷漬けになって運ばれてくる魚を元のコンディションに戻してやるのだという。これにはうなっちまう。


 来週はシドニーのお知り合い、これまた大学の先輩とお会いすることになっているので、ベスト3のもう一つを味わうことになっている。


 こんなことが続くとなんか良いのかな、という気分になって、私の死期が早まっているのをみんなが知っていてこうした状況に私をしてくれているのではないかと疑ってしまうではないか!


 その江戸前の仕込みなんだけれど、実に唸ってしまったのは、来週行く店(家族ぐるみのおつきあいをさせてもらっている)で、若い息子がしているハマグリの仕込みを見た時のことである。包丁の鋭利な刃先で一つ一つ丁寧にワタをはずしていく。目を見張る作業だ。職人の職人たる所以。


 あ、ところで、この写真の解説を忘れちゃいましたね。これは実は3月に見つけたお気に入りうどん定食である。呉の山乃屋という女性ばかりで作っているうどん屋さんのもの。
もちろん味は関西風なのだけれど、このうどんが私が大好きな細うどん!しかも、このおにぎりと一緒に盛られたこの切り昆布の山を見よ!感動である。しかも、これで、確か500円ほどであった。これを食して店を出てから振り返ってカメラをかまえたら、店先でお稲荷さんやおにぎりを売っていた白い三角巾を被った若い女性は身を隠してしまったのである。これはまた食べたい!

本日到着した本。
幻の石碑 鎖国日の日豪関係 遠藤雅子 サイマル出版会1993年
シドニーの午後 遠藤雅子 三修社 1983年
黄色い鼠 井上ひさし 文藝春秋 1977年
オーストラリア解剖 永井浩 晶文社 1996年
中身、濃いなぁ〜!
それにしても井上ひさしがANUに行っていたことがあったというのはこの本の存在を知るまでは思いもしないことであった。


 遠藤雅子は「シドニーの午後」を見ればわかるが、元はといえば商社マンの奥さんである。この人の著作は1989年に刊行された「チェリーパーカーの熱い冬」で初めて知った。最近の著作はなんと今年の2月に集英社新書から出版された「スペシャル・オリンピックス」である。来年長野で開催されるスペシャル・オリンピックスについてはプレ大会があるまで私はまったく知らなかった。日本のマスコミってやっぱり営利企業だなぁ。こうしたものを積極的に報じることになんで意義を見いだし得ないのだろう。

遠藤雅子
http://www.melbourne.au.emb-japan.go.jp/JICC/JICC%20Newsletter/newsletterj.htm
遠藤雅子氏 兵庫県芦屋市生まれる。63-64年、オーストラリア全土を旅行。64-68年、71-74年駐在員の家族としてシドニーで生活する。以来、主に日豪関係をテーマに執筆活動に従事。日本ペンクラブ会員、日本作家協会会員。著書に「謎の異国船」「シドニーの午後」「チェリー・パーカー の熱い冬」「謎の石碑」などがある。
 メルボルン総領事館の後援によりモナッシュ大学日本研究文化センター、タスマニア豪日協会、タスマニア大学の共催のもとに 歴史ノンフィクション作家遠藤雅子氏の講演がメルボルン、ホーバト、パース、シドニーで開催されました。
 モナッシュ大学日本研究文化センター創立20周年記念行事の一環として、11月2日、第4回豪日関係シンポジウム基調講演の一つ遠藤雅子さんによる「Early Days of the Australia-Japan Relationship: The recovery of the earliest conatct between Australia and Japan 1831」と題する講演が行われました。
 遠藤雅子さんは、1971年マンリー検疫所に2週間の隔離生活を命じられた息子に付き添っていた時、海岸沿いの岩に漢字が彫り込まれているのをみつけました。この事をきっかけに、遠藤さんは日豪交流の歴史に興味を持ち熱心な研究をされ、「謎の異国船」「謎の石碑」など多くのノンフィクションの著書があります。
 1831年、北海道の東端にある厚岸という村にラッセル船長が率いる捕鯨船「レディー・ロエナ号」が上陸しました。「レディー・ロエナ号」は、船の修理と食料などの補給を要求しましたが、日本側が応じなかった為残念ながら交戦となりました。これは、ペリー提督の「黒船」来航に先立つ22年前の出来事でした。
 遠藤さんの調査の結果、厚岸市にあった官寺・国泰寺の「日鑑記」に 1831年に起きた「レディー・ロエナ号」事件が記録されており、オーストラリア側の記録は、シドニーの新聞に当時のその事件の様子が書かれていることが発見されました。 遠藤さんは、「レディー・ロエナ号」の船長ラッセル氏 の曾孫にあたる女性とも出会っています。この曾孫にあたる女性は、「レディー・ロエナ号」の資料をニューサウスウェールズ州立図書館に寄贈されました。
 遠藤雅子さんは、日豪交流史の新たな発見を求めて、研究を続けています。