実は清里という地名はずいぶん昔から知っていた。
しかも、KEEP協会の「清泉寮」という名前は40年ほど前に初めて
聞いていた。しかし、それは前向きに聞いたのではなくて、当時
プロテスタント系の女子大に入学した姉が出かけた先の名前として
聞いたものである。多分当時は未だ、創設者のポール・ラッシュが
いたのだろうと思う。
私にとっては一種「ハイカラ」な響きを持つ場所という印象であった。
そして、その清泉寮の本当の意味を知ったのはホンのここ数年のこと
である。わが恩師は年に二回催行するゼミ合宿の年度末版を毎年2月
の始めにKEEP協会自然学校でおこなう。ここはかつて病院を開いた
ところで、実はこの病院はあっという間に失敗してしまい、未だに
KEEP協会の失敗プロジェクトとして語り継がれている。
このポール・ラッシュという人は関東大震災の後のYMCAの建て直し
にやってきた。そして立教大学に残る様に説得された。アジア太平洋
戦争が勃発しても彼は最後まで残り収容所に入れられていたという。
しかし、戦後駐留軍の将校として帰ってきたポール・ラッシュはあれ
だけ力を入れていた立教大学が、キリスト教の教えを大政翼賛思想の
中で放り出してしまったことを大いに憤慨した。そして、立教を見に
来てすぐにこうした私学の幹部を追放する通達を発するが、それは主
に立教大学に対するものであったことは明らかである。
立教学院は今年、創立130周年を祝っているが、このあたりのことも
きちんと見直すという展示を開いたのであった。
それでもって、この写真は「清泉寮」でのジャージー乳・ソフトクリ
ームを求める人の列 in Summer timeである。
実はいつも雪のある清里に行くので、こんなに列を作ってソフトクリ
ームを買うのが珍しくて、撮った写真である。
ところで、「清泉寮」というのは清里と大泉町からひと文字ずつとっ
てつけられたそうな。
そして、立教大学のアメリカン・フットボール・チームはこのスポー
ツを立教大学に持ち込んだポール・ラッシュにちなんで「ラッシャー
ズ」という。この清泉寮の一角にはポール・ラッシュの暮らした家が
そのまま残されており、隣接して日本のアメリカン・フットボール名
誉の殿堂がある。
知ってた?