ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

造船所

大学を卒業して就職した会社は事業の中のそのホンの一部として造船業も営んでいて、私はその造船所のひとつに配属された。当時は日本造船業の最盛期で、その造船所ではハンディ・バルクといわれる2-2.4万トンの撒積み船*1をがんがん建造していた。それは本当に「がんがん」という言葉がふさわしい状況で、なんと年間に12隻の船が生み出されていった。つまり、毎月一隻の船が完成して出港していったという事である。
ふたつあった船台*2の上では次から次に船がみるみるうちに造られ、三ヶ月で進水式を行って海上にそれを降ろす。それからまた三ヶ月掛けて艤装*3し、試運転を終えて買い主に引き渡す。船は引き渡しの調印が終わった時点で造船所の管轄から買い主の管轄に完全に移行する。登録されるべき港に登録され、支払いがされ、保険がそこから切り替わる。そして、船は汽笛を鳴らしながら造船所の岸壁を離れ、処女航海に出て行く。
当時の日本の造船所に多くの船を発注していた海運業の多くはギリシア、香港、ノルウェーといった海運国といわれる地域に会社を持っている海運コングロマリットであった。ギリシアで海運といえばあのオナシスもその中核を為していた。当時の大金持ち海運業オーナーは確かにわたしたち庶民の感覚を大きく超えた事業を(その内実は別として)動かしていたし、その私生活感覚もちょっと違っていた。

*1:パッキングされていない、バラのまんまのカーゴ、例えば石炭、穀物、木材チップ(正確にいうと木材チップをバラで運ぶにはその積み卸しのための荷役設備を持っているか、陸上にその施設があるところにしか行かない場合にはそれも持っていない)といったものばかりを運ぶ船。つまりホールドと呼ぶ船倉が5つほど連なっているだけというシンプルなもので、口の悪い連中はこれを「どんがら船」と呼ぶ。

*2:船を組み立てる、レールの敷いてあるコンクリートでできたスロープ。エンジンを積んで、外側ができるとガラガラところがして海に降ろす。

*3:船のあらゆる装備品をフィッティングしてペンキを塗り、完成させる