ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

NHK「日曜討論」

 まず冬柴さんにお願いをしたいのは、鼻をすするのは止めて欲しいと云うこと。私の国の文化では人前で鼻をすすっても何かをいわれることはほぼない。しかし、気持ち悪いなぁと思う人はいる。あなたは人前に出、そして他文化の方々の前にも出る方である。知らないでいるのでは、あなたが恥ずかし状況に直面するであろうと云うことであると同時に、そもそもそれを聞かされてしまう私が気持ち悪い。ある民放のラジオに出演しているパーソナリティーの方も平気で生番組中に鼻をすする。幸いなことに彼にはそれを忠告してくれる人がいたらしい。しかし、より悪いことに彼はこれを無視している。そのぶんだけ罪は重い。欧米人は食べものをすするということに非常に敏感だけれど私の国では食べ物をすすることには平気だ。それとこれとは別。冬柴さん、あなたは不幸せなことに誰もいってもらえていないのだろう。だって、えらい人だから。だから敢えてここで、「鼻をすすることはある文化の元では非常にだらしのない人間としてみられる危険性がある」ことをあえてご忠告申し上げる。
 この番組でこうした与党野党が対決姿勢で討論をすることは非常にむなしいという気になる。与党は持って回ったもののいい方をして時間を費やしてしまえばよい、というやり方で終始する。しかし、これを記録に残しておくとしばらく後になっての状況を見ながら振り返ってみると、どんな具合に食い違っているのかという点が明確になる。だから見ている。そうでなければ見え透いたもののいい方を平気でするおっさんに付き合ってストレスをためる気はない。
 今日は案の定、イラク自衛隊駐屯地に似合いもしないヘルメットを被って防弾チョッキをつけて風のようにすり抜けてきた二人のおっさんが、「あんたは見もしないで」と野党に云う。こういう風に使うために行ってきたんだし、思うつぼにはまったと云うことであろうか。たかだかこれだけのことに高い経費を使ってきた。どう考えても撤退のチャンスをことごとく見過ごしてきた与党の責任は大きいと云うことをはっきりしておきたい。
 橋本派の一億円について、「いくら献金を受けようとそれは許されていることである。ただしそれを申告をしなかったことは間違い。だからこそ会計責任者が起訴されている」ということで自民党は終わりらしい。しかもこの件に関しては裁判中の事例であるのでコメントしないとする。それでは起訴されていない橋本元総理は裁判に関係していないというのであるから、きちんと国会で喚問にふしたらよい。「周りがいってんだからそうなんだろうなぁ」なんていい方で終われるこの事態を是とする政治家は居直り以外の何ものでもないことは否定のしようがない。共産党が云うように、政党助成金はなんのためにつくられたのか。助成金も取り、企業献金も取ると云うことではこれは二重取りである。誰もが企業献金、あるいは利益団体からの献金が政治の方向性を誤る可能性が高くなることは知っている。利益誘導がなされないのであったら一体誰がそんな金を政党にわざわざ渡すのであろうか。個人がその政党の活動方針に賛成してポケットから献金するのであれば、非常に純粋な支援と考えることはできる。しかし、利益追求集団からの献金がその利益の確保あるいはその拡大を意図していることは誰でも理解できる。それを無視して居直ることをいつまで続けるのか。答は明解である。選挙民が気がつくまでである。私の国の文化は、「清濁併せのむ」ということが腹の大きな大人なんだという文化にあった。だからこうしたことを追求しちゃぁいけねぇんだよ、という姿勢はもう願い下げ。
 こうした姿勢と同じレベルにあるのはNHKと与党との関係であろう。どんなに「私から呼んだのではない」としても予算の承認・不承認に切り札となっている与党に対するNHKの立場はとてもフェアーな立場だとはいえない。生殺与奪権を握っている相手に対して、座してその神経を逆なでしていたら窮地に陥ることは誰でもが予測できるわけで、NHKの幹部がもし、そのままにしていたら能力のない幹部であるというそしりは免れない。だから、そうしたことをしなくてもすむシステムにしなくてはならず、今の仕組みがおかしいことは確かだ。もし、与党の政治家が自己利益に汲々とすることのない公明正大な政治を行えていればこの仕組みでも良いのであろうが、少なくともそうは思えないし、これは表沙汰にしないまでも多くの人が感じていることであろう。自民党でも鯨岡兵助の様な党員がいたことを考えると党の問題ではなくて個人の資質の問題であると切り返されちゃうのだろうか。
東京新聞中日新聞を見ていない私にとっては開眼であった。(http://d.hatena.ne.jp/tazan/20050121)