ほぼ足りてまだ欲 その先

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「Japと呼ばれて」

宍戸 清孝著 論創社 050115:第29回伊奈信男賞受賞作*1
 写真家である宍戸が1980年3月16日にホノルルで日系二世のトーマス・オオミネと出会い、そこから日系米兵を知り、「日本とアメリカの架け橋となった二世の人々の証言を記録する作業を決心するきっかけとなった」として出された本。多くの日系一世、従軍した二世が写真とともにそのインタビューの一端を語っている。江成常夫の「花嫁のアメリカ」とともにカメラマンの手になるアメリカを舞台とした日本人、日系人とそのファミリーを捉えるライフストーリーとして秀作といって良いだろう。
 この本を(読むというよりは)見ると同時に、ドウス昌代の「ブリエアの解放者たち」「私が帰る二つの国」「マッカーサーの二つの帽子」を読むと大きくその全容が分かるかも知れない。本土の日本人日系人が収容された収容所については多くの記録が発刊されている。そのうち気がついたものだけでもリストアップしておく必要があるかも知れない。この戦争で活躍して日本人、日系人に貼られた汚名を挽回しなくては、とGo for Brokeで頑張ったはだの黄色い米兵を迎えた社会がそれをその通りに認めたのかというとやはりそうではなかった、と語るダニエル・イノウエの戦争で失った右手の袖の写真は重いものがある。
 しかし、どうしてカメラマンにはこうした仕事ができるのだろう。もう少し細かいヒストリーを残していきたい、という気持ちがどうしても働く。そうして残さないとあの時代が消滅してしまうような危機感がある。焦る。
Japと呼ばれて
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*1:ニコンサロン運営委員会が、昭和51(1976)年に制定した賞。伊奈信男略歴:1898年:愛媛県松山市生まれ。1922年:東京大学文学部美学美術史科卒業。1932年:「光画」誌創刊号に「写真に帰れ」を発表。それは、日本近代写真批評の幕開けを告げるものであった。以降、「光画」、「日本工房」、「中央工房」、「国際報道写真協会」等において批評活動を続け、戦前戦後を通じて数多くの評論を残す。 昭和53(1978)年没。(ニコンサロンHPから引用http://www.nikon-image.com/jpn/activity/salon/awards/ina/