ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

難民収容所にいた!

 NHKの「ラジオ深夜便」を知らない人は今や希有。この番組には毎晩世界各地に住んでいる日本人が交代に出演してその地域の最近の話題を語る。2週間に一度木曜日に、メルボルンに暮らしているラ・トローブ大学の杉本良夫先生*1が登場する。17日(木)がその晩であった。この日の話題は驚くべきものだった。

  • 難民キャンプで見つかった精神病患者

 今月の初め約一年にわたって行方の知れなかった女性の所在が分かったという記事が新聞に載って大騒ぎになった。それは昨年の3月にシドニー近郊のマンリーにある精神科病院から外出許可を取って出かけたまま戻らなかった39歳のドイツ生まれのオーストラリア人女性が南オーストラリアの難民収容所で見つかったというものであった。
 彼女は昨年の4月になぜかクイーンズランド州北部でアボリジニーの人たちによって保護されたが、彼女はその時にドイツ語しか話さず、アボリジニーの人たちは彼女を心配して、警察に引き渡した。警察の聴取に対して彼女は何故か異なるドイツ名前を告げミュンヘンから来たといった。入管に照会すると、そんなドイツ人の入国記録は見つからなかった。しかも本人が持っていたパスポートの名前とも一致しないどころか、なんとそのパスポートはアーリー・ビーチで盗まれたものであった。そこにいたって警察は不法入国者としてブリスベン女子刑務所に収監した。それからプリンセス・アレキサンドラ病院に送られたが、そこでは何故か精神疾患患者ではないと診断されたという。10月に南オーストラリア州にあるバクスター難民収容所に擁護の必要な難民として送られている。
 収容されたアデレイドのグレンサイド精神科病院では、自分を本名で認識しておらず相変わらずドイツ系の他の名前を自分の名前として主張していたという。

  • 長期にわたり収容されている不法難民

 この事件が明らかになってから、統合失調症にかかっている彼女にたいして難民収容所の看守たちが行ったといわれるいくつかの暴行について何人もの証言が出てきているだけではなく、同じような状況にいる人たちの存在も報じられ始め、あまつさえこれまで時に表に、時には影で語られている難民収容の問題点を大きく取りあげる状況のきっかけとなっている感がある。かつてから移民国家といわれるオーストラリアは、後から後から押し寄せる各地からの難民に頭を悩まし続けている。多くの場合ボート・ピープルはインドネシアから船を仕立ててオーストラリアを目指す。2001年8月のボート・ピープルを救助したノルウェー船籍「タンパ」が受け入れ国をめぐって立ち往生したことが想い出される。
 警察に尋問された時に不用意に第二言語を口にするなとか、常に自分のステイタスを示すことのできる書類を持って歩け、というような「あつものに懲りて生ものを吹く」様な記事すら掲載されている。

  • そして

 彼女は生まれて15ヶ月の時に両親とともにドイツからオーストラリアに移住。14歳の時に一度ドイツに戻り、16歳でインドネシアに滞在。そのままシドニーに戻ってノース・ショアの名門高校、キララ・ハイ・スクールを卒業。その後研究機関で園芸学を勉強。クアンタス航空のキャビン・アテンダントをしていたほどであるから、英語は全く支障なく使えていたはずであり、マルチ・リンガルとして周囲からは認識されていた。
 1998年に躁鬱症を発症したが、統合失調症になるまで数年は充分に仕事ができていたといわれている。姉によればシドニーのサリー・ヒルズにあるという「ケンジャ・コミュニケーション」というグループに入ってからおかしくなったというが、このグループのスポークス・パーソンは「精神科の支援が必要だとアドヴァイズした」と主張。
その間彼女は何度か行方知れずになったことがあり、その度に捜索願いが出された。ローマで走る列車から飛び降りたこともあるし、ヒッチハイクでぼろぼろになって発見されたこともあるし、ボンダイの海岸で意識を失って発見されたこともある。しかし、不思議なことにその度に善意の人に発見されたり、自らの職務を超える献身的な行政員によって助けられてきたという。しかし、2003年にマンリーの精神科病院に入院。しかし、2004年3月17日にその後の治療を前に一日のお休みに出かけたまま帰らなかった。

  • こういう話なのに

 オーストラリアのマスコミは彼女の実名をすべて公にするどころか、写真も掲載しており、彼女の姉家族全員が写真で紹介されている。この辺のプライバシーの考え方は私にとってはなかなか理解しがたいものがある。そういえば、アメリカでもオーストラリアでも宝くじに当たった人は家族をあげてテレビや新聞に顔姿をさらしているのだ。これもまた私には理解を超えている。
 ひょっとするとオーストラリアのメンタル・ヘルスに関する、そして永年の懸案である不法難民の扱いについてエポック・メイキングな事件となるかも知れない。

*1:1939年兵庫県西宮生まれ。京大法学部卒後毎日新聞、67年渡米、ピッツバーグ大学社会学博士。73年ラ・トローブ大に移る。著書「日本人をやめられますか」(朝日文庫)「日本人をやめる方法」(ちくま文庫)「日本人に関する12章」(ちくま学芸文庫)「日本人の方程式」(ちくま学芸文庫)「オーストラリアー多文化社会の選択」(岩波新書)「オーストラリア6000日」(岩波新書)等、夫人の佐藤真知子さんも著書多数。