ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

結露

 コンクリートの建物は必ず結露をおこす。特に冬の外気と室内の温度差が建物内部壁に結露を生じさせる。建築に詳しい人に訊くとそれはしょうがないという。きちんとした対策をすれば軽減できるけれど、そんなことをしたら高層集合住宅の内装工事費は限りなく高くなるのだろうか。
 しかし、かなりの場合、それは設計上の考え方で防ぐこと、あるいは軽減することができるのではないだろうかと思う。わが家の場合、入り口の北に面した壁に多分明かり取りという目的のためにガラスブロックがはめ込まれている。昔からガラスブロックは使われているが余りよい話を聞いた覚えがない。破損の問題もある。しかし、そうはいっても今時の材質はかなり改良されていて結露上の問題や強度の問題がないからこそ使われているのかと理解しようとしていた。それはようやく見つけたまぁまぁ妥協できる物件をこんな玄関脇の明かり取りだけのために断念するのがいやだったからでもある。しかし、そんな期待は見事に裏切られて、このガラスブロックは立派な結露に見舞われる。今頃の時期に見たら別に何ともないけれども、冬場は朝出ようとするたびにその明かり取りとドアフレームにしたたる結露を拭き取ることが日課となる。むしろこれがガラスブロックではなくて、多少なりとも開けることのできる構造になっていたら換気という点で意味があったかもしれない。
 こうした見た目という観点が優先したデザインがその場の状況、あるいは地域の環境を勘案せずに行われる場合がほとんどだろうと容易に想像がつく。それが表現されるためにはこまめな現場から設計へのフィードバックが行われる必要がある。そしてそれがマーケッティングの一環だというのが私の解釈になる。しかし、このマーケットではそうしたフィードバックが掘り起こすマーケットの存在であるとか、品質の確保という観点が営業の前線ではほとんど意味を持たないのではないだろうか。
 購入動機の決め手となるのは交通機関との位置関係であり、周囲のイメージであり、モデルルームの造られ方(これは実際には内装にすぎない)であり、新聞に挟まる時には新聞2ページ分にもなる折り込み広告なのであろう。特定の販売者とリピート利用者というのが非常に限られた割合であることは容易に想像がつき、信頼できるブランドというものが存在しない平均単価の非常に高い商品である。
 だから、購入者側は常に一元の利用者であり、おおよそは最初で最後の利用者であったりする。だから、いつまで経っても組織だった消費者としての取り組み体制が構築されることがない。つまり買い手の意思が表現しにくい商品であって、売り手側にとっては売りやすい商品だといっても良いのかもしれない。
 コンクリートの収縮に伴う自然な現象だとゼネコンが説明する角部屋天井のヘアークラックに伴うクロスの撚りについて、写真のように昨日ファイバーテープを貼り、上からパテを塗った。一晩このままおき、今日はクロスを貼る。なんで二日がかりになったかというと持ってきたクロスの色が違っていたからである。しかし、他の階の方の全く同じ場所のクロスを貼り直した時にも色を間違えるという同じ間違いを繰り返している。