ほぼ足りてまだ欲 その先

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太田記念美術館

 それならといってみた。今は広重の名所江戸百景を公開している。誰を記念している美術館というと太田清蔵という人であって、このひとが集めた大量な浮世絵を公開しているということのようである。1980年開館。それで、その太田清蔵さんとはいったい誰なのか。webで検索してもなかなかどうもはっきりしたことがわからなかったのだけれど、福岡県出身で破綻しちゃった東邦生命の元会長さんのようである。あの保険会社が左前になったおかげで私の企業年金だったかなにかが引っかかっていた記憶がある(あまりはっきりした記憶がないという位いい加減に生きていたんだなぁとわかる)


 福岡の太田一族の本家というのか、東邦生命を起こしたのは第四代太田清蔵(1863-1946)。このコレクションを残したのは五代太田清蔵(1893-1977)。東邦生命を潰した太田清蔵はその次の六代目。東大経済学部、ハーバード・ビジネススクール卒という超一流エリートコースを歩んでいる。昭和28年取締役として東邦生命に入社。昭和61年に清蔵を襲名(それまでは長太郎)。不良債権総額2600億円の責任者としては異例の数億に及ぶ退職金を手にし「食い逃げ」したと非難された(http://csx.jp/~gabana/keizu/kei-ootaseizou.htm)。

「太田一族」は政界財界に人脈を築いている。太田和郎・ホテル日航福岡社長、太田誠一・元衆院議員をはじめ、太田清蔵・元東邦生命社長、太田清之助・元博多大丸会長、姻せきには桜内義雄・元外務大臣、亀井光・元福岡県知事…。読売九州版040226

  • 東邦生命最後の太田清蔵に関するネット上の情報:「太田元社長の人脈に、許永中福本邦雄が深くかかわり、破たんへの道のりへナビゲーターを務めた」「特定企業へ“健康年金”と称して証券の損失保険同様の特定契約者への配当補填を行っていた」「1999年に経営破たんした同社が親族会社への迂回融資で会社に損害を与えたとして太田清蔵元社長に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は10億円の支払いを命じた一審判決を変更し、元社長の主張を一部認め、6億8500万円の支払いを命じた。(2004.12)”当然最高裁控訴しているんだろうけれど、それはどうなったんだろう・・”」「日本経済復活の会(多分名前だけだろうけれども)相談役」「浮世絵太田記念美術館 理事長」「日本対外文化協会顧問」

代々同じ名前を継ぐことになっているということで、何代目がどの太田清蔵なのかよく分からなくなっちまった。それがメリットか。相続の時なんてどうなるんだろう。


こんなにたくさんのものを『なに』していたんだということに驚く。
 江戸百景というだけあって、東京各地を良くもこんなに描いているものだと感心。広重はおおむね京橋近辺に住んでいたものらしい。雪景色、桜景色がとても多いという印象である。それにしても今のように写真にとって資料としながら描くわけにはいかないから、その場で簡単な絵スケッチをしてくるのだろうけれど、冬場は大変だ。松の木が真ん中にどぉ〜んと書いてあったり、大胆な構図が様々にあり、その場の状況をわかっている人でないと理解できないという絵も多い。浮世絵を全く知らない素人としてはグラデュエーションはどのように版画で著すのかが理解できない。しきりに頭をひねりながら考えるがわからず。
 一階、二階をめぐり、挙げ句に地下の会場をも見ようと階段を下りる時膝が辛い。若い時にはなにも感じない、しかしいまやこんな程度の段差が辛くなる。地下には「かまわぬ」という名の手ぬぐいや和風現代小物屋さんが入っている。こっちは外階段から下りてきて美術館に関係のない人も入れる。和風模様の綿のシャツって、ほとんど袢纏の下に着る「だぼシャツ」のようである。現代風草履やら下駄、和風蝙蝠傘なんてものもあったりする。1時間半ほどじっくり見て、浅草寺と両国花火の絵はがきになっているものをもとめて辞する。三越北斎・広重展は三越カードではいっちまったけれど、こちらはそんなものがあるわけではないから入場料一人金壱阡円也を払った。


 無印、ユニクロ、GAPに入って安くて気が利いた長袖のシャツがないか探すが、今時はない。薄手の長袖でゆったりしたシャツを所望。これまで愛用してきたシャツが軒並み寿命となりて、引退。いささか払底である。半袖はあまり得意ではないので、なかなか痛まない。