ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

想い出に残るNHKの昔番組-唐突(何度でも書いちゃう)編

 クルミの頑固さん、クルミのくる子ちゃん(里見京子)、ピーナッツのピーコちゃん(黒柳徹子)、タマネギのトンペイ(横山道代)、キャベツ(誰だったろう?)、河童のコン吉(桜京美?)、モグラのもぐもぐさん(熊倉一雄)、イタチの?、スカンクのガスパ(八波むと志)、一龍斎貞鳳も確か声を担当していたのではなかっただろうか。それにしても熊倉さんは一体全体おいくつになったのだろうか。私が子どもの時に既に十分おじさんだったと思うのだけれど。ググって見ると1927年のお生まれとあるから再来年で80歳ということだ。ということはもぐもぐさんを演じていた時はまだ30歳そこそこだということ?ケペル先生の声をやられていたのはその後だろう。「こちら」でのお話を読ませていただくと忍者ハットリ君の声も熊倉さん。「ひょっこりひょうたん島」とほぼ同時期で京都と東京を行ったり来たりしていたという。熊倉さんの資料を探してあっちこっちネットを見ているうちに、辻村直人さんを思い出す。ググって見てもほとんど何も出てこない。あの方も多分どこかの劇団におられた方ではないだろうかと思う。金壺眼の小さい人だったと思うけれど、どうされていたのだろうか。おばあさん俳優で顔は想い出すが、名前のどうしても出てこない方がいる。探しようがない。里見京子黒柳徹子横山道代の三人組は多分NHK放送劇団のメンバーではなかろうか。他にもこの三人、あるいは二人が同時に出演しているものというのは数多くあるような気がする。
[主題歌]♪ チンチンチロリン野菜村
NHKエンタープライズのサイトで第811回「九年目の春 4」、第812回「最終回 さよならみなさんおげんきで」映画「チロリン村の村長選挙」が収録されているDVDが売りに出ている。5,040円。当時はビデオテープが現在と比べたら大変に貴重品であったため、ほとんど残されていないのだという話を聞いたことがある。自分の記憶ではとても良くできた人形劇だった。はらはらどきどき、わくわくした記憶がある。なかなか無邪気な子どもだったんじゃないだろうか。

  • 「ホームラン教室」

 テレビの子ども向けドラマ。後に第三京浜で車の事故で死んでしまった小柳徹が主演していたのがこの番組ではなかったかと思う。この時間枠にあったのが桂小金治の「ぽんぽん大将」ではなかっただろうか。

  • 「マイクの旅」

 NHKの第2放送で放送されていた番組。小学校高学年向けだったという。出演は太宰久雄。彼は昭和21年にNHK放送劇団に加わっている。その後、渥美清の「男はつらいよ」のタコ社長で名を知られた。テーマの唄♪まぁ〜いく、まぁ〜いく、まぁ〜いく、まぁ〜いくさん♪ NHKアーカイブスでその片鱗を聴くことができる。
 私は小学校一年生の時に三ヶ月ほど学校を休み、家で寝ていなくてはいけないといわれた時期がある。多分、いや確かに自然陽転だった。飲まされる薬は今でいえば粒状の粉薬であった。粉なら細かい粉であればまだしも、これはざらざらして子ども心にとても飲みにくかった。いちいちオブラートに包んだり、いちいち潰して粉にしたりした。四畳半の部屋に四六時中蒲団を敷いて寝ていなくてはならないのが7-8歳の子どもにとっては大変な苦痛であった。時に親戚のおじさんが遊びに来たりした時には茶の間の隣の座敷に蒲団を移すことが許されて、欄間越しにみんなの会話が聞こえて来るという程度だった。そんな本当に退屈な毎日の無聊をかこつのはラジオしかない。当時どれほどラジオが放送されていたのか知らないが、NHKの第2放送は私にとって唯一といっても良いほどの楽しみだったのである。そんなときの「マイクの旅」は寝床の中にいながらにしてあちこち出歩く代償行為になるのだから楽しくないはずがない。ところが一週間のうちに同じ番組が2-3度放送されていたから、最初は良いけれど、後になると中身をそらんじるほどである。第2放送を徹底的に聴いていたのだからこのほかにも覚えている番組があっても良さそうなのに、この歳になるともうほとんど想い出せない。

  • 「ヤンボー、ニンボー、トンボー」

 子ども向けのラジオドラマ。確か日曜日の夕方の番組。主題歌は♪やんぼー、にんぼー、とんぼー、しっかり者のヤンボー、あわてん坊のにんぼー、かわいい弟、トンボー、時には喧嘩もするけれど、僕たちやっぱり兄弟だぁ〜、ヤンボー、ニンボー、トンボー♪というもので唄っているのはもちろんその猿の三兄弟に扮する、黒柳徹子里見京子横山道代の三人。ドラマの中身はほとんど覚えていないのだけれども、わが家が三人姉弟だったからか、妙に好きだった。谷を三匹がしっぽをつかんで長くなって渡る話なんてのがあったような気がするが、そんな程度で渡れる谷なんて、今になって考えてみるとそれほどでもないんだな、と思ったりする。原作は飯沢匡
立花隆の「二十歳のころ」のサイトで黒柳徹子のインタビューを読むことができる。この番組は彼女のデビュー番組だということだ。「徹子の部屋」はもう30年にもなるわけだ。このインタビューの中で、黒柳徹子沢村貞子の最後を語っている。実のことを云うと、私は沢村貞子のことをそれほど好きじゃなかった。なぜかというと声は汚いし、しゃべり方もやたらと早口だし、なんだかがらっぱちだし。加藤道子のような愛らしいおばさんタイプの役者の方が見ていてほのぼのとするもの。だから、轟由起子は良いけれど、荒木道子荒木一郎の実母)はいやだった。ところが大人になってみると沢村貞子荒木道子のタイプは実に懐かしい近所のおばさんタイプなのだと云うことがわかる。友達のうちに行くと、目立たないけれどちょいと見えるところにそんなおばあさんがいて、そっと足を忍ばせながら「失礼しまぁ〜す」といいながら階段をトントンと上がっていく。そんなときのおばあさんやおばさんは沢村貞子のような人だった。考えてみると加藤道子や、轟由起子のようなおばさんの居るうちなんてめったにないわけだ。

  • 「お父さんはお人好し」

 花菱アチャコ、浪速千恵子が主演の大阪制作のラジオドラマ。なんといっても浪速千恵子の関西弁がほんわかしていて、その印象だけが強烈だった。その後オロナインの宣伝で全国津々浦々に行き渡ったけれど、あんな子どもにも強烈な印象を残されたわけである。