ほぼ足りてまだ欲 その先

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父母のこと

 今年の春に母を亡くしてこれで私の父も母も他界したわけである。それで考えてみたのだけれどどうも私は父方の先祖も、母方の先祖も、ほとんど知らないようだ。父が死んでから母からぽつぽつと聞いて包み紙の裏にその簡単な系図を書き留めたことがあるのだけれど、それがどこに行ったのかわからない。それを聞いていた時に母方の祖母の実家から父の兄の所に嫁に行っているので、遠い親戚だということだった。
 しかし、それらしいことを父の口からはほとんど聞いたことがなかった。父方の祖父母は私が物心ついた時には誰もいなかった。それもそのはずで父も自分の父母を早くなくしたということだった。だから、父はほとんど祖母、つまり私から見たら曾祖母に育てられたのだそうだ。しかし、それにしてもその早くなくしたという父母のことを父の口から全く聞いたことがない。なにか触れてはならないような事情があったのだろうか。多分その祖母の葬式だったのか、それともなにかの法事だったのか、父と二人でいったという記憶もある。
 一方母の方は曾祖母が死んだのは私が小学校一年の時で、その葬式に父母とともに夜行列車に乗って岡山まで行ったことを覚えている。冬のことで何故か知らないが姉弟のなかでも私だけが連れて行かれた。当時の三等寝台の狭い寝台に母と二人で寝た。眠れぬ子ども心に真っ暗な窓の外を踏切の点滅する信号の灯りが、遠ざかる鐘の音とともにもの寂しい気持ちにさせた。
 母の実家では驚くほど大量の煮物が種別にホーロー引きのバットに盛られていた。毎食、それを食べるのである。真冬のことだから腐る心配もない。暖かいものはみそ汁とご飯だけ。ただひたすら毎食冷たい煮物を食べる。祖母はいかにも田舎のおばあちゃんだった。祖父はその後遊びに行くたびに「わが家は平家の血をここまで嗣いでおる」といってその度にどこで作らせたのか知らないが系図を持ち出してきては見せた。挙げ句に戦後を乗り越えて保存してきた先祖伝来の槍を見せるのである。
 ところがこの辺はすべて、父と母の実家に絡む私の記憶である。しかし、両方の親戚もわたしの従兄弟たちが既に亡くなってしまっているのでつきあうことがめっきり減ってしまった。だから、私の記憶以上の情報が得られない。母方の祖母の実家はどこにあるのか、それを嗣いでいるのは誰なのか。父方はまだ親戚に誰が居たのかくらいは分かっていても、父方の祖母の親戚が誰なのかは全く分からない。きちんと聞いておけば良かった。もう聴き様がない。