ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

鶴見俊輔、丸山眞男・・

 また、「戦争が遺したもの」の続きである。 
上野「彼(小林秀雄)が戦中に書いたのは、たとえ暴挙であれ、国家が困難な状況に入っていく時に、個人の運命を国家の運命とともにするのが人として当然の道であり、それが庶民というか、生活者の感覚だということでした。つまり、インテリなら理念や思想で物事を批判したり判断するだろうけれど、それをやらないのが生活者であり、自分の決断なんだと。」
 これに対して、鶴見は「そんなことをいうインテリは許せない」と。「知識人は、知識を得るまでにいろんな特権を背負っているんだから、その言い訳は通らない」と指摘する。知識人の責任を放棄して、生活者の振りをするなということかという上野の質問を肯定する。
 小熊の、鶴見は知識人のあり方は非常に批判するけれども時局に沿って揺れ動く庶民の批判をどうしてしないのかという質問に対して、鶴見は(自分と)似た様な特権を享受している人たちに対しては、もう少し責任をとるべきだとする。ここが丸山と鶴見の違うところだという。丸山が「鶴見さん、あなたは大衆をほめるけれど、それはあなたが育ちが良くて知識人だからですよ」という。そして丸山のいう「亜インテリ」、「社会の下士官」ともいう今や自民党の支持層になっているような村や町の顔役の階層がファシズムを生んだのだと丸山が批判していたと説明。この点については船大工の棟梁の家系である吉本隆明は、丸山は特権的な知識人に過ぎないと噛みついたという。
 鶴見は清水幾太郎について運動に乗り出して読者をアジったことによって誘ったものの責任というものがあると指摘。だから、知識人とか政治家の責任というものは、庶民とは別に問われるべきだとする。