ほぼ足りてまだ欲 その先

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志ん生の酒

 アナログ情報をデジタル情報へ転換終了。おかげで見過ごしていた番組をじっくり見直した。「知るを楽しむ ー 山本晋也が語る古今亭志ん生」とでもいう2時間近い番組だったけれど、新しい情報はあまりなかった。にもかかわらず最後に志ん生を覚えている人たちのひとことひとこと、そしてあまりにもわざとらしかったはずなんだけれども、山本晋也監督が美濃部家代々の墓に詣でて一升瓶からガラスコップに酒をついで呑む、場面で思わずほろり。そろそろそんな「あの人はねぇ・・・」という語りが身につまされるという状況になりつつあるのかも知れないと愕然とする。
 圓菊師匠のお話によれば、天丼に熱燗を掛けて喰ったそうで、そりゃもう粋とはいえまい。でも、そこが志ん生だ、といえてしまいそうだ。これを話しておられた圓菊師匠も大分老けられた。やっぱり志ん生の娘、美津子さんのお話が一番面白かった。馬生ははっきりとお母さんに似ていたんだなぁと写真を見て思う。
 晩年、家族や弟子が志ん生に出す酒を薄めてだしていたという。なんとなく思うところがあって薄めることをせず、そのままだしたら「やっぱり酒はうめぇなぁ」といったといい、それが最後の酒になったという。私の連れ合いの、死んだおやじも志ん生に負けず劣らず酒が大好きで、なんだかんだといいながら食卓にいても、仕事場にいても、常に脇に酒を置いていた。勤め人ではなくて職人で本当に良かったよなぁ。最後はあっちを手術したり、こっちを手術したりで満身創痍だったから、酒を薄めて出していた。最後の最後は離れた病院で死んだから、志ん生のように生の酒を呑むなんてことはなかったはずだ。それはそれは思い残りだったことだろう。外国にいた私には想像もできなかった。