ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

YブックセンターからK文館へ

 今月に入ってほぼ初めての本屋である。いつもの月刊誌の他に、隔月刊や季刊がこの月に出るのが多いから大変だ。

  • 同級生から薦められている本を買おうかと思ったけれど、ちょっと高くて逡巡している。相当に評判になっている。「ソーシャルワークの社会的構築」という明石ライブラリーの本である。
  • それにしても文庫本というのは7年前のものになったらもうないもんなんだなぁ。新書ももちろんそうである。探しに行った6冊の本のほとんどはそれぞれの出版社の索引にも見つけることができなかった。確保できたのはたった一冊であった。堀川潭著「悲劇の島」光人社NF文庫 2002.12.10。
  • ついに茂木健一郎の「クオリア入門」を手にしてしまった。果たして読むだろうか。この著者ははてなでブログを書いているし、先日インタビューが某大某学部の研究紀要に載っていた。
  • 今更ながらではあるが、「戊辰戦争中公新書 佐々木克著を入手。飯盛山の諸事情をおさらいしようという泥縄思考である。
  • 相当売れているらしいと云うので、これは読んでも良いかなぁとは思っていたが、その理由が自分には納得がいっていなかった。しかし、目次を見て読みたいと思った。梅田望夫著「ウェブ進化論ちくま新書 2006.02.10。著者は今年46歳で、去年からはてなの取締役。
  • 桜井厚がせりか書房から出していた「インタビューの社会学」の続編のような扱いで小林多寿子との共同編著として「ライフストーリー・インタビュー」を出していた。2005.12.10。各章の終わりに研究者二人の意見を「経験」として記載している。その中には竹沢泰子や木下康仁の名前も見えている。確か、桜井厚はライフ・ストーリー学会の中心的存在である。

季刊雑誌は次の如し

  • 「前夜」第7号特集は「国家の変貌」。リレーエッセイが渡部えり子で思わずニマリとする。というのは昨日行ったバスツアーにそっくりな奥さんがいたからだ。この雑誌の「一枚の写真から」というフォト・コラムは凄い。巻頭で高橋哲哉と阿満利麿の対談がある。この雑誌はどの辺まで続くことができるだろうか。
  • 「at クォータリー[あっと]」第3号 特集は「コーヒーの世界システムと対抗運動」である。ちょっとこのところこの手の分野について自分としては留守になっていたので、虚をつかれた気分である。上野千鶴子の「ケアの社会学」は第二章に入っており、「家族介護は「自然」か?」というテーマである。施設では云えることも家族の前では云えなかったりする、というポイントを捉えている。吉岡忍と吉田司の対談が掲載されている。ちょっと楽しみなので、これはさっと読まずにじっくり読むことにする。
  • Coyote第10号。特集は「バンクーバーからはじめる」である。世の正義、不正義を忘れてみるのには、この雑誌は実に有効なのである。最近の癒されるなぁと云う言葉の意味は現実を忘れることができるということである、と誰かがどこかで発言していたけれど、その通りなんだなぁ、これが。今この瞬間に面倒なことを全部放り出してどこかに行っちゃえば良いんじゃないの?と思わせてくれる訳である。そういえばアラスカや北欧のオーロラが見える観光地は、概ねどこもかしこもこの冬はほぼ日本人で占められていたのだそうだ。来年からはこうした現象にどんどん拍車がかかることは間違いがない。すると、この雑誌もやはり対象は団塊の世代なのかも知れない。

月刊誌は以下の如し

  • 現代思想」4月号vol.34-5 特集は「教育改革の現場」で多分この辺できちんと捉え直しておかないと教育基本法問題を語ることができないかも知れない。この雑誌は巻頭の連載が楽しみなんだけれど、多分それぞれ単行本になるな。
  • 論座」5月号通巻132号 特集の「諸君!それでも正論か」のタイトルには笑った。いくら朝日の出版物だからって、みんなでAERAをやらなくても良いではないか。巻頭に例の藤原正彦へのインタビューが載っている。すっと読んでしまうと目先を簡単にふりまわされてしまいそうである。私はあの「国家の品格」を全く読んでいない。彼の話は以前フジテレビの番組で中曽根と一緒に出演した時に聞いただけである。何やらニュアンスが変わっている。反応の仕方はさすがに上手い。保阪正康が読ませる。岡本行夫にもインタビューをしている。挙げ句に西部邁(すすむ)と八木秀次の対談なんぞが載っているのである。論座は直ちに文藝春秋のグラビア企画のような、それでいて広告頁での「師弟交歓」という企画を止めよ。まだ朝日は懲りないのか。これでは週刊朝日武富士広告記事と同じだぞ。韓国の映画俳優、チェ・ミンシクへのインタビューでは韓国の映画館が現在一年の半分は韓国映画を上映することという規制があるが、これを米韓FTAの前提条件として提示されているという状況が語られる。これが実行されるとハリウッドものに席巻されてしまって、国内の映画が圧迫されるという論理を語っている。そうだろうなぁ、この国の現状をご覧になるとお判りですぜ。山本一郎(イレギュラーズ・アンド・パートナーズ代表取締役。本名ですか?)が書評欄で梅田望夫の「ウェブ進化論」をぶった切っている。この雑誌の巻頭グラビアに「本棚拝見」という企画があるが、今月は歴史学者井上章一である。ここに「書かれている内容から時代を読み取りたいだけであって、人物描写だのストーリー展開だの文学的価値だのは、どうでも良いんです」と云っている。その規模は遥かに小さいけれど、ひょっとして私はそんな傾向にあるかも知れない。
  • 「世界」5月号no.752岩波書店 特集は「脱格差社会の構想」である。直後は月刊「創」が連載特集をしていて、加害者の養護学校時代の先生にまで取材をしていたのだけれど、そろそろ社会から忘れられかかっている「レッサーパンダ帽男」事件を取り上げて刑事司法としょうがい者福祉の座談会が掲載されている。政策秘書給与流用で代議士を棒に振り、実刑に服した山本譲司が獄中での多くのしょうがい者の存在を驚いて報告している。出来事をその人の人格に帰属させる傾向が強まっていることに浜田寿美男(奈良女大・子ども学、発達心理、法心理)は危機感を感じている。ルポルタージュ 「ある老人ホームの昼と夜 出口のない家」という企画は実際のところ、誰が書いているのだろうか。連載ノンフィクション「日系ブラジル人女性 ノブエ・ダラス 戦いと流転の日々」は第5回である。
  • 月刊「創」5月号 vol.401 ここでも藤原正彦の「国家の品格」を取り上げて新潮新書の編集長にその顛末を語らせている。あのテレビへの出演後売り上げは3倍以上に跳ね上がったのだそうだ。あの見るからにダサイ新潮新書のカバーなんて売り上げには関係ないんですかね。今月の佐高信田原総一郎を「是々是々のヨイショ主義者」と斬っている。斉藤貴男の「非国民のすすめ」は面白い。この雑誌が引き続きキャンペーンの主体となっているマスコミは何もやらないを象徴する話だ。小林薫の獄中記の他に「きっこの日記のなぞとブログ界の裏事情」なる記事はちょっと興味をそそるのである。

 さて、週刊誌はめったに買わないのだけれども、「村上正邦・元参院のドンが逮捕後初めて語った」の?が読みたくて、K文館で週刊金曜日のバックナンバーを購入。ついでに今週号と先週号も購入。これで、しばらくはたくさん読まなきゃ。