ほぼ足りてまだ欲 その先

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ビートルズ来日40周年

 あの台風あけの羽田にビートルズがやってきてから40周年ということで、あちらこちらのチャンネルで、どこが創ったのか注意していなかったので、分からないがビートルズの一連を語るフィルムの放映が重なる。日曜日はケーブル・テレビのあっちとこっちで、ほぼ中身の映像の出自がまさに同じだけれども日本版制作を異なる手によって加工されたとおぼしき番組をちらちらと見てしまった。NHKも記念番組をやるとかで、ホームページ上で意見やリクエストを募集中。一方、小林克也もラジオで面目躍如の語りがあり。
 何度も何度も書くように私はあの年、浪人生活を送っていた。最初の頃は浪人となってしまったことに結構焦って、毎日結構真面目に水道橋にあった研数学館に通って私立文科コースの授業を午前中受けていた。そのうち、水道橋までは行くのだけれど、そのまま喫茶店に直行してしまったり、そこから方向転換して代々木のゼミではなくて代々木予備校に行っている友達のアパートに転がり込んだりして、本当に真面目に勉強していなかった。
 だから、いくらでも武道館に行くチャンスはあったはずである。しかし、今とは比べようのない価値観に自分で自分を縛っていたと云うほかないのだけれど、あの武道館にビートルズを見に行くのは一種の「不良なんだ」という価値観を当時のエスタブリッシュメントから与えられていたといって良いだろう。こんなこと今時の若者にいくら説明したって分からないのだ。それは戦前の思春期の少年達が「皇国少年」となっていったことを今から批判するのと同じくらい、その気弱さを批判することにはなんの意味もないのだ。
 私は高校生の終わり頃、生徒会の議長を務めて高校の生徒指導の教師と対立したり、羽田事件に行かなかった自分を責めたりし、そこから高校の学校祭で初めてエレキ演奏を実施したりした。その前哨戦として、高校の講堂を土曜日の午後に使う許可を得て、放送部だった経験から勝手知ったるマイク設備の設定を行い、幕の開け閉めも自分たちでやり、黒いズボン、白いワイシャツの学校の制服姿のまま、友達と創ったバンドでライブ(その時はそんなことは云わないな)をやったくらいである。
【写真:残念ながら自分は映っていないのだけれども、一緒にやっていた仲間。ネクタイなんかしている。】
 それなのに、あぁ、それなのに、あの武道館の時にあそこまで出かけることで世間に喧嘩を売る勇気がなかったということをこの際告白するしかないわけだ。そんなにビートルズを好きなんだったらなんで武道館に行かなかったんだ、と簡単に云える今の状況の方が私にとっては納得ができないとでもいってしまいそうだよ。それにしてもキャピタルホテルが当時ビートルズが泊まったスイートを建て直し前の最後のサービスとして一泊10万円で提供とか、様々なおっさん、オバサンを相手にした企画が売りに出そうである。スイートでみんなでパーティーかな?