ほぼ足りてまだ欲 その先

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昭和三十年代

 今月の「東京人」じゃないが、三丁目の夕日をはじめ昭和三十年代を懐かしむ企画が次から次にいくらでも出てくる。それがまた売れちゃう。今では安心して、逆にいうとそれほどもう期待しないと云うことだけれども、見ることができる。
 しかし、実はあの頃より今の方が暮らしやすいことは間違いがない。先日家の網戸を綺麗に拭いて、そのぞうきんを風呂場のバケツの中でじゃぶじゃぶ洗っていて想い出した。昔は木のたらいに木の洗濯板、亀の甲の洗濯石鹸でごしごし洗っていた。面倒だったし、冬はつめたかった。学校の掃除の時間、廊下や教室の床を雑巾掛けしてはバケツの水が冷たくてゆすぐのもいい加減にやろうとするんだけれど、そんなことしていると時間が掛かるばっかりで、しょうがないから「忍!」の一文字で終わらせた。
 朝は石炭当番の時は早く学校に来て、石炭置き場に並んでいる黒い石炭バケツに新聞紙と木ぎれと石炭が入っているのを教室に持ってきて授業が始まるまでにだるまストーブが暖かくなるようにしなくちゃならない。石炭置き場は概ね、校舎のはずれの暗いところにあったりして、朝は寒かった。けれど、下級生の女の子たちがくることもあるので、油断はできなかった。
 学校の男子トイレの小用はコンクリートを打っただけのものだった。臭かった。それはそれは臭かった。落っこちそうで怖かった。駅のトイレなんて余程の度胸と切迫した事情がなくては入れなかった。
 こうして考えると、本とぉ〜にあの頃は怖かったし、不便だった。だけれども、人は良く知らない人ともやりとりして暮らしていたものだ。今は便利で、怖くないけれど、人はほとんど口をきかず、他人のことはどうでも良い暮らし方になっちまった。
 バスの中で、派手な音が鳴った。斜め前に座っているおばさんの携帯電話だ。そのおばさん、慌てて携帯電話を手にすると、なんとその電話に出て話し始めた。私が思わず「るせぇなぁ」と口の中で云ったのが、心ならずも大胆にも声になって出てしまった。多分聞こえた。バスの音があるとはいえ、多分聞こえた。その証拠に二つ前の席の女の人が私を振り返った。話し終わったおばさんは、外を見る!という風情で私の方を見る。明らかに「ど、どいつだ?」という雰囲気。私はずっと見ていたんだから、まともに振り返ると眼が合う。うまく眼があわないようにおばさんはこっちを見た。悪びれる風もない。また、私の奥歯は痛くなりそうだ。