ほぼ足りてまだ欲 その先

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小学生の学内暴力

 文科省が発表した「問題行動調査」が今朝の各紙に取り上げられているそうで、それによると2005年度に全国の公立小学校の児童が起こした校内暴力の件数は前年度より128件増の2018件となり、3年連続で過去最多を更新したのだそうだ。しかも、教師に対する暴力は前年に比べて38%増えているという。もっともこんな数字も氷山の一角に過ぎないはずだ。学校はできるだけこうした件数を計上しないようにするだろうからだ。
 2ヶ月ほど前にNTVドキュメントで放映されたある小学校の先生の状況を見ていて本当に長嘆息だった。女子生徒がその中年おっさん先生をまるでバカにして何もいうことを聴かないどころか、無視をする。いじめそのものである。彼は強権を発動するわけでもない。それなのに、無視をする。おっさん教師が指示しても全くやらない。挙げ句に親の会を開いたら、保護者のひとりが「娘が担任を替えて欲しいというのはどうしてなのか」とその教師に尋ねる始末である。その番組の反応で「先生ももっとかっこよくしないからバカにされる」と書いた聴取者がいて、もう呆れ果てた。教師はお笑い芸人か。
 こうした行動は校内暴力の中に含まれているとは思えない。この時の内容だったか、いつか他で見たのか忘れたけれど小学生が既に「教師が手を挙げたらそれだけでもうクビになっちゃうんだからこわくなんてねぇよ」と豪語するのである。
 親そのものがもう既におかしいのだから、子どもがおかしくなっていないわけがない。友人の娘が小学校の先生をしているが、親がなにかと口を出してきてうるさくてかなわないという。
 昨日の職場からの帰りの電車の中にチンピラ高校生が三人、端の一角でデレンデレンしていた。なにかの部活の帰りのようである。大きな荷物を持っていてそれを通路に、ごろんと投げ出してある。わぁわぁ云いながら携帯電話をとりだして騒ぎ電話をかける。よく見るとそこは優先席である。言語道断である。しかし、云えない。何も言えない。怖くて云えない。老若男女を問わずもう「お里が知れる」という意識はもうない。「もったいない」どころではなく「恥ずかしい」という意識はもうすでに消失しているらしい。こうした礼節はどんどん失われていく。 
 一体どうしたらこの流れに歯止めをかけることができるのだろうか。止めることはできるのだろうか。親が変わらない限り子どもは変わらない。自分の周りを見てもこうした恥ずかしいという意識はどんどん失われているような気がする。