ほぼ足りてまだ欲 その先

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法に基づいて

 「え〜、わが国は法に基づいて行政が施政を実施する法治国家でありましてぇ・・」と麻生太郎の声で解説をして貰っているような気分にさせられる記事を発見。

パラオ残留孤児の道内再訪 国、渡航費認めず 支援法想定外で適用困難  北海道新聞 2006/11/02 08:07
西太平洋のパラオ在住で、両親が北海道出身の残留日本人孤児キミコ・ホセーさん(62)について、一時帰国の申請を受けていた厚生労働省は一日までに、渡航費を支給しないことを決めた。関連する法律が一時帰国費の支給対象を中国、旧ソ連からの帰国者に限定しているためで、支援団体は「願いがかなわず、残念だ」と話している。キミコさんは1944年(昭和19年)、パラオ北部のバベルダオブ島で生まれた。太平洋戦争の戦況が悪化したため、両親はキミコさんをパラオ人夫婦に託し、帰国したという。昨年二月、キミコさんは肉親捜しのため、NPO法人「北海道・パラオ友好協会」(札幌)の招待で北海道を初めて訪問。その際、小樽市の男性(71)が兄と名乗り出て、DNA調査で肉親関係にあると確認された。パラオに戻ったキミコさんは、来道時に大雪で母親の墓参りができなかったため、再度の訪問を希望したが、渡航費を用意できず、同協会が一時帰国を申請していた。厚労省は申請を受け、国費支給の是非を検討したが、「中国残留邦人等帰国促進・自立支援法」がパラオ在住の残留孤児を想定していないため、適用は困難と判断。来日経験がないフィリピン在住の孤児に一時帰国費用を支給した特例も、来日経験があるキミコさんには当てはまらないとした。同協会は「来夏にもキミコさんが来日できるよう、協会で準備したい」と話している。

 思わず、「はぁ〜っ!?」といってしまう状況とはこのことなり。今でもあの戦争の正当性、アジアにおける解放軍であったその存在を語るというスタンスの記事が満載されたいわゆるオピニオン誌なんてものを見ると、とりあえずこうした状況をしっかり取り上げてからいってもらいたいと思ってしまう。
 「北海道・パラオ友好協会」のサイトにキミコさんがお兄さんと出会った時のことが書かれている。

キミコ・ホセイさん、お兄さんと対面  2005.02.15
当協会、NPO法人北海道パラオ友好協会が出版する童話絵本、「キミコちゃんのゆめの国」の主人公となったキミコ・ホセイさんが、大臣と共に2月4日から8日に北海道を訪れ、小樽に住む彼女のお兄さんと奇跡的な対面を果たした。キミコさんがじつのお兄さんに対面したのは2月6日の夕方、ホテルヒルトン小樽内のレストランである。その日の朝、当協会に一人の女性からの電話が入った。話によれば、キミコさんに関する記事を新聞で読み、探しているのは私たち家族ではないかということだ。この電話をくれた女性は札幌に在住しているキミコさんのお兄さんの次女で、つまりキミコさんの姪となる人である。協会に電話が入ったとき、キミコさんは大臣らと共に札幌市内を観光中であったが、連絡を受けすぐに小樽へ向かった。そしてその日宿泊を予定していたホテルヒルトン小樽のレストランにて奇跡的な対面を果たしたのだった。しかし残念なことに、キミコさんのお兄さんと妹さんは見つかったが、キミコさんが長年夢に見ていた両親との対面は果たせなかった。両親はすでにこの世を去っていたのである。キミコさんはお兄さんが持ってきてくれた母の写真を見てひとこと、「お母さんに会いたかった」と述べた。8日の朝、新千歳空港を出発するときにもお母さんに会えなかったことを残念に思うと述べていたが、今回の旅行では予定が会わなく果たすことができなかった、妹さんとの再会を誓って札幌を離れた。キミコさんが帰る間際に一通の手紙をもらった。今回の旅行にたいするお礼が丁寧に、繰り返し書かれていた。やはりキミコさんにはもう一度日本を訪れ、今回果たせなかった妹さんとの対面をし、一緒にお母さんのお墓参りに行ってほしい。