ほぼ足りてまだ欲 その先

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必修科目

 (毎日新聞) - 11月2日0時30分がこんなことを報じていた。概略である。

 全国の国公私立高校全5408校(うち私立2校は未回答)のうち510校(10.0%)で、高校3年生の生徒数では8万3743人(7.0%)となることが分かった。国立高校15校に履修不足はなかった。
 補習の上限を70コマ(1コマは50分授業1回)とする当初案を一部緩和し、履修不足が1科目70コマの生徒に限り、50コマ程度の補習で卒業できる救済策で与党と政府が合意した。
 6万1352人は履修不足が70コマで、病気や災害で通学が困難になっても、出席日数が規定の3分の2あれば認められるという単位認定の一般的なルールを援用。学校教育法に基づく校長の卒業認定権を弾力運用し、補習を50コマ程度まで削減することを認める。2万2391人の未履修が70コマを超える生徒は、補習70コマの枠内で履修していない必修科目をそれぞれ学んだ上で、校長がリポートなどを通じ、習熟度に応じて修了を認定。

 未回答の私立2校の態度はなんだろう? 
 それにしてもどうも釈然としない。暫定的救済措置でなんでも片が付くなら法治国家なんてこの程度のもんだ、ということになる。世の中の1割にあたる高校が、大学受験の結果さえ出ればよいのだとして、それが学校の経営に資するのであるとして、カリキュラムを無視して生徒を余念のない受験準備に邁進できるようにしてきたわけだ。そんなのは別段法律でカリキュラムが決まっているわけじゃないんだから、そんな非難には当たらないわけで、たまたま文部科学省の云っているようにはならなかっただけ、だということもできるわけだろうか。
 多分こんなことをやっていたのは進学受験において難関といわれる大学に多くの入学者を出してきたいわゆる「進学高校」だろう。さもなきゃ、もう高校の授業レベルについてこられなくなってしまった、それでもいけば一息つけるし、居場所にはなるという生徒を抱えた高校くらいなものだろう。もちろん高校は知識を与えるだけの場所ではないし、社会への窓口にもなるわけでそれが悪いといっているわけではない。
 だけれども高校は少なくともルールを無視した。「いいじゃん、こうしなけりゃ巧くいかないんだし、誰に迷惑をかけたかといったら誰にも迷惑なんかかけていない。強いてあげるならばその分野の知識を手に入れられなかったという点で生徒に迷惑をかけたのかも知れないが、本人たちは別に迷惑だとは思っていないくらいだ」という主張もできないことはないし、多分本音はこの辺にある。
そうやって考えると、本来的には救済するという発想はおかしくないだろうか。少なくとも自分たちのメリットになるからと約束事を反古にしてきたわけ。卒業生で大学に進学しているもの、大学を卒業したものについても受験資格が本来的にはなかったわけで、これはまごうことなき「不正」である。
これが良いんだったら上述のパラオの残留孤児はどうして救済されないのだろうか。