ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

日曜討論

 酔眼朦朧としてテレビをぼぉ〜っと見ているとどうもどっかで見たようなおじさんがでている。立教大から千葉大に行った新藤先生の向かいに座っている。あ、あれ、と気がつくとこれが八代尚宏先生である。そう分かった途端に話を聞く気がなくなった。
 彼がいつも云うように、ひとつの衰退産業から発展の可能性のある産業への傾斜配分が直ちに実現できればそれほどすばらしいことはない。市場競争の正しさを訴える人は必ずその言葉の終いに「そしてセイフティ・ネットをかければよいわけで」というのだけれども、そこが最大の問題点なわけだ。それを如何に構築するかにエネルギーを費やすことをせずに、ただただ勝てるであろう層に有利と成るであろうシステムについてのみ語る。それは卑怯というものである。
 かつて日本の石炭産業はなぜあれだけの手間、暇、金をかけてエネルギー転換に伴う産業の構造改革に取り組んでいたのだろうか。何十年の日々と膨大な助成金を費やしてきた。それでもその地域に暮らす人たちはシフトできずに残った人びとが多くおられた。人びとは計算上のようには動かない。動けない。「〜であれば」という議論は全く意味をなさないのだ。それに乗らない一般庶民が理解が足らずにそのようにシフトをしないからいけないのであるとでもいわんばかりの議論はまったくもって怪しからん。