ほぼ足りてまだ欲 その先

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また、義侠心

 テレビ朝日の「スーパーモーニング」は鳥越俊太郎が「品格」の藤原正彦にインタビュー。あの本はなんと230万部を売ったのだそうだ。この売れ方は彼の考え方を支持する人数を指し示すのであろうか。このインタビューでは「卑怯なことをするな」を強調されていた様に私は受け取った。自由競争はいくら機会を均等にしたとしても弱者をそのまま強者と競争させることになり、勝負は初めから分かっているのだという意味と私は受け取った。その薫陶は教えて教えていかないと分からないのだという。
 と、すると私はこの価値観を誰から教わったのだろうか。死んだ父には申し訳ないが、私が幼い頃、父はそのようなことを教えてくれていた様に思い至らない。確かに彼は働いていた会社でも事故があれば自分が責任者だとこたえて後ろ姿を見せる様なことはなかった。しかし、それは私が既に成人となってからのことであった。子どもの頃、彼はほとんど仕事が忙しくて家にいなかった。逆に利益追求市場主義をあたかも取る様な言葉を投げて私に反発心と正義を教える結果となった。その点では無意識のうちに教育をしていたことになろうか。当時の英語塾の先生は「義侠心」という言葉を常に私の頭に残し続けてくださった。そうした人たちの話が、年の異なる子どもたちの遊びの中で何となく覚えたフェアネスという概念を言葉で表現してくれたのではないかと思っている。
 「みそっかす」は邪魔者扱いしているのではなくて、幼いものたちにハンディを与え、遊び方を覚えるチャンスを造り、それによって遊び仲間の継承者を生み出してきていたのだろう。当時私たちはちょっと歳上の連中が広場で何かをやるのを知ると「入れて!入れて!」と叫んだものである。一番年かさの子ども、あるいは実力のあるものがそこにいる子どもの顔を見ながらこっち組とあっち組にわけ、最後に「お前はあっちのミソ、お前はこっちのミソ」と準資格、もしくはマイナーリーグのものも組み込んだ。その時に歳上のものたちが自分の思惑でチームを作るという姑息さを発見したりすると、「俺があの立場に立ったら絶対にあんなことはしないぞ」と義侠心を燃やした。時にはそのアンフェアネスに反発して俺は下りると行って家に駆け戻ったりしながら、世の中を知ったんだろうと思う。
 高校時代にいたって、教師の人格をすぐに見て取ってその生徒への関わり方の本物であるかそうでないかでそのフェアネスをかぎ分けた。こうした自分の感覚は子どもにとってはむしろ息苦しいかも知れない。良いじゃないか、他人が何をいおうとやろうと。本当はそうなんだろう。しかし、それが何もかもを放り出したことになるのではないだろうかとまた考える。