ほぼ足りてまだ欲 その先

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リタイア後

 会社員生活をリタイアしてから今年で9年目に入っている。そろそろリタイア後の最初の総括くらいはしても良いのではないかという節目が来ているような気がする。それは去年の終わりくらいで大きく生活のペースが変わったからでもあるだろう。
 この8年間で、私は多分それまで生きてきた人生で知ったこととほぼ重複しない分野の知識ばかりに手を突っ込み、食い散らかしてきたのかも知れない。しかし、それは人間として、この地域を拠点に暮らす市民として、知らなくてはならない、あるいは知るべきであった分野ではないかという気がする。それまでは金を稼ぐために必要だと思われる分野の知識を身につけることが至上の命題であって、それ以外の知識は本当に遊びでしかないという認識の元に接していたに過ぎなかったような気がする。だからほんの少し重なる分野でもあの時期に手にしていながらそれを拡げなかったので、あの当時には容易にアプローチできたであろうことをみすみす見逃し、今になって苦労するというものもある。
 しかし、当時私が必要としていた知識はほとんど国際的な工事契約あるいはその実行についての知識であったからリタイア後に何か役に立つものがあったかといえば、ほとんど見つからない。唯一役に立っただろうと思われるのは言語的な知識で、これは確かにどんな分野に興味を持ったとしても役に立つものではあった。特に自分の場合には少なくともその切換時には役に立った。
 もう一つ、スキルとして役に立ったものとしてはキーボード操作がある。新入社員として配属になった先で、まず最初にこれだけは最低限できるようにしてくれと云われたのは英文タイプライターを打つと云うことだった。勿論当時パーソナルコンピューターどころかワードプロセッサーすらない。しかし、私が配属になった職場では海外の取引先との、あるいはそこから派遣されてきている駐在員との正式なやりとりは全て英文の書面で行われていた。また、今はすっかりなくなってしまったけれど、メールに相当するものでテレックスが使われていた。当初専門の担当者として女性社員が居たけれど、時間を問わずその操作が要求されると係員全員がそれを操作することになる。従って、英文タイプライターは必須のものであった。ポータブルタイプライターを多分最初のボーナスで買ったと思う。シルバーリードというメーカーのものだったような気がする。毎日毎日昼休みに弁当を平らげてしまうと、銀座にあったクロサワが発行していた教則本を開いて、ぽつ、ぽつとポジションの練習をした。私のあとからやってきた後輩たちもみな、私と違って誰も彼も優秀な大学を卒業してきた連中だったが、みんなまずはそのタイプライターの練習から始まった。
 多分私の性格から云ったら、あの時、あのように強制してタイプライターのオペレーションをたたき込んで貰っていなかったら、あとからそんなことをするわけもなく、今頃、パソコンを前にして、キーボードをいじるなんて云うことに手を染めることはきっとなかっただろうことは容易に想像がつく。その意味では、あの部署に配属になって本当に今となっては感謝をしている。
 リタイア後、しばらくしてあるNGOの事務局長をされている元銀行勤めをされていた女性のお話をお伺いしたことがある。その時、その方は大学生を前にしていかなる活動をしているのか、なぜそのような活動が必要なのか、そしてどんな悩みがあるのかというお話をされた。そのもの静かな語りの中に本物の輝きを感じて学生の中にはその後そうした活動に入っていく人たちも散見された。その方が実は大学を卒業したばかりの方に手伝って頂くのは勿論良いのだけれど、本当に今必要なのは社会で様々な経験と知識を積んだ人なんだと云うことを仰った。つまり、海外で手助けを必要としている地域に入るにしても、どうしても必要となるのは現地でのネゴ能力、そこへ持ち込む資機材の搬送の知識、処理能力なんだというのである。この時はとても気持ちとしては傾いた。だけれども、自分がやり始めたことを中途半端にして放り出すことに躊躇した。今になってみれば、まだ体力も気力もあったあの時にそこへ踏み切っていたら随分と違っただろうなぁと云う気持ちはある。ものすごく面倒で、充実した気力が必要な作業であるだろうことは容易に想像がついた。
 幸いなことにまだ少し、ものを考える(とは云ってもろくな方向性にならないかも知れないけれど)気力ぐらいは残っていそうだから、踏み込みかかった分野の知識をもう少し踏み分け、嗅ぎ分けて行こうとは思う。そしてほんの少しの文章にまとめてみようとは思う。これからリタイア後第二期のはじまりということにでもしておこうか。