ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

FD

 きっかり午前6時に猫が私の指先に甘噛みで起こす。コーヒーを入れながら森永卓郎垣花正の朝の番組を聴いていると、なぁつかしぃ〜音楽ですっかり眼が覚める。フォーク・ダンスである。勿論最初にかかったのはオクラホマ・ミキサーで、普通これがラジオやテレビでかかると最初のところだけしかかからないけれど、今日は垣花正がフォーク・ダンスの全国大会の話を紹介していたので最後の♪ちゃ、ちゃらららぁ〜んらん、らんらん!というところまでかかり、続いてはマイム・マイム。できれば、コロブチカにまで行って貰いたかったなぁ。だけれども、この三曲しか思い出さないんだけれど、この他に何があったっけ?
 私が生まれて初めてフォーク・ダンスを覚えたのは、多分小学校4-5年生の頃のことだと思う。一張羅を着ていった想い出があるので、お金持ちのお宅にお呼ばれした時のことだろうと思う。少なくともそこでコロブチカは覚えたんだと思う。しかし、何よりも熱中したのは中学2年生の時のことで、私が通っていた区立の中学校では、誰が発想したのか知らないが、毎週土曜日の午後に校庭でフォーク・ダンスを踊っていた。それも2-3時間は踊っていたと思う。今から考えるとそのためにわざわざ弁当を持っていったのだろう。1961年頃のことなんだからそんなことをしていたのは女子ばっかりじゃないのかと思うけれど、そうではなくて男子の一部はあとからやってくると女性役をやらなくてはならなかったのだから、やっぱりそれなりの比率で参加していたんだと云うことだろう。
 高校に進学するとやっぱりそこでも運動会の時だけではなくて、日常的にフォーク・ダンスを踊ったのではないかという気がする。私が通っていた高校は戦争が終わるまでは府立高等女学校だったものだから、1963年入学時でも男女比率が2:3だった。だから、今度は女子が男役にまわる人がいつもいた。多分そんな時はつまらないなぁと思ったのだろうけれど、そんなことを匂わすのは失礼で、すべきことではなかったのだろう。私としては女性役に廻ることが絶対になかったのはとても嬉しかったのだ。あれっきり、私はフォーク・ダンスを踊っていない。
 社団法人日本フォークダンス連盟というのがあるそうだけれど、こちらのサイトを覗くとほとんど男性が映っていない・・。本文全部が点滅するのをやめて貰えないと読めない。