オランダのワーク・シェアが話題になったのは2000年のことだっただろうか。
- 作者: 長坂寿久
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
- 発売日: 2000/04/01
- メディア: 単行本
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かつての大企業は公務員と同じように、各種の手当てを正規雇用労働者に設定しているのが普通であった。それは成功を収めた企業の格式とでもいう条件だったといって良い。社宅を持たない大企業は少なかったし、それが設定されている地域がその企業の格をあらわすといわれていた。保養地には各社の保養施設が建ち並んでいて、あぁさすがにあの企業はこんな処にも保養施設を運営しているんだな、と羨ましく思ったものである。しかし、それが今はどうだろうか。何もかもほとんど全てがなくなっている。バブルの時に社宅を随分売り飛ばした。保養施設も手放した。そして今や社員まで手放したのだ。
オランダ式ワーク・シェアは仕事を分担するが労働者に与えられる条件は全て正社員と同等の条件、すなわち日本でいえば社会保険から退職金留保、残業手当等まで全く同じ条件で労働を分担するというものである。今、盛んに利益団体を前面に押し出している日本の経営者層は、そんなことをしたらなんのために派遣、請負にシフトすることのメリットが何もないということを主張するだろう。その通りで、オランダが失業率の回復、社会の活性化の回復を狙ったこのシステムには政府にしても、雇用側にとっても、そして費用側にとっても三方一両損なんである。どれもこれもそうだとはいわないが、外交交渉にしても、労使交渉にしても、ネゴシエイションは一方的にどちらかの価値で決着するということはあり得ない。それをごり押しするということは一方が一方を弾圧、あるいは不平等であるにも関わらず力で屈服させることに他ならない。如何にそれが将来的にきっとメリットがあるのだからと欺したところで、直ぐに底の割れる話であることは歴史上にいくらでもその例を取り出すことができることからも明白だろう。
にもかかわらず、このまま行けばあっという間もなく、国民年金も、国民健康保険も成り立たなくなると警報を鳴らす人たちが出てきているにもかかわらず、やれ「百年続く」だの「おそれず、ひるまず」だのというキャッチフレーズにとらわれて目眩ましに誤魔化されてきてしまったその勢いでやりたい放題に踊らされて自らを失ってはならない。こうした一方三両得を密かに(いやいや、よく見ればわかるんだから決して「密か」でもないか)推進することで、飼い葉料、あるいはお目こぼし、あるいは袖の下、あるいは山吹色の菓子折を「ウヒヒヒ」と受け取る政党という名の利益集団に属する政治屋という名の俗物に振り回されるのはもう願い下げにしやしょう。お前のグループを「ぶち壊す」のはあんたの勝手だけれど、お前たちの利益のために「改革」という名前を使って私たちのシステムをぶち壊すことは許すことができない。
「2時間働いたら2時間働いたなりの、8時間働いたら8時間働いたなりの、社会保険を確立すべし」