ほぼ足りてまだ欲 その先

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「ゲームの世界」では終わらない

 英国のThe Church of EnglandがSONY EntertainmentのPS3のゲーム「「レジスタンス −人類没落の日−(Resistance: Fall of Man)」がマンチェスター大聖堂を舞台に銃撃戦が繰り広げられていることに関し、制作、販売のSONY Entertainmentに対して謝罪と献金を要請し、販売停止、もしくは該当場面の削除を要請していると報道されている。
 このニュースを国内の各紙、各テレビが報じていることがGoogle Newsでもわかる。この種の宗教が絡む報道に関しては日本の報道機関はとても苦手である。「SONY 英国国教会」のキーワードでニューズを捜してみたら、TBSのタイトルは「英国協会、ソニーのゲームに抗議」と書いてあって、「協会」になっちゃっている。読売新聞は「英国教会が謝罪求める」と書いてあって、これでは英国の中にあるどこの「教会」なのかわからない。「The Church of England」が固有名詞であることを知らないことがばれてしまう。
 The Sydney Morning HeraldはThe Church of Englandが以前にもまず歴史的意義を持つManchester Cathedralを銃撃戦を繰り返すゲームの舞台として使っていることを告発していたと書いている。BBCのニュースに出てきたSony Computer Entertainment Europe の関係者さすがに「Bishop of Manchesterの発言を良く理解しているし、真摯に受け止めている」と発言。
 そもそもこのマンチェスターが銃犯罪に悩んでいる都市で、大聖堂では銃犯罪の被害者のメモリアル・セレモニーが行われているところだという点も背景として状況をより複雑にしている。このゲームそのものは宇宙からやってきた地球への侵入者と闘うというストーリーのようだけれども、それならそれで全く異なる背景を用意するべきだったわけで、現存する施設、それも宗教施設の中での銃撃戦というのは無神経だと指摘されても仕方がない。これがもし、現存するイスラムの大モスクであったとしたらどんな反応が起きているだろうか。あるいは神社の本殿を巡っての銃撃戦であったらどうだろう。
 SONY側の様々な対応が様々なメディアを通して報じられているが、「架空の世界の話であって、ゲームそのものである」というような対応はいたずらにこじらせるだけに終わるだろう。このゲームソフトは全世界で既に100万本を売り上げるというヒット作だそうだ。
 多分こういう話が出ると、たかだかゲームの世界の話しではないかという反応が出るだろう。ひとつの文化の中に閉じこもって暮らすというのであればそれでよいのかも知れないが、これだけ何十、何百という文化と接しながら暮らす以上、エスノセントラリズムで生きていくのは正しいことではない。まして世界的な企業を標榜する「ソニー」の対応は非常に注目されるもので、その対応を間違えると大変なことになる可能性を秘めているといっても良いだろう。あまりにもやり手で後味がそれほどよいわけでもないけれど、盛田が生きていた時代のSONYとは大きな落差を感じる事件だ。