ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

フジテレビ「報道2001」- NHK「日曜討論」

 8月の終わりの日曜日にお台場のフジテレビのある建物に行った時、丁度この番組が放映中だった。ロビーの応接セットのところに置いてあったテレビでもこの番組が放映されていた。私は眠くて椅子に深々と座って近くのテーブルに目をやると、そこにスーツ姿でラップトップのコンピューターを開いて、出演している政治家の発言をメモっている男がいた。如何にも政治部の記者然とした青年だった。何もこんな落ち着かないところでメモっていないで記者クラブかなんかのデスクでメモればいいのに、と思ってみていた。今朝の番組を見ていてわかった。この番組は生番組なのだ。だから、彼はここでメモって、なにか思いもよらない発言がでたら、そのまま出てくるところで捉まえて質問をしたりすることができる。仕事に邁進しているんだなぁ。きっと面白くてしょうがないところだろうか。違うかな。
 ところでこの番組のスタンスが小泉内閣安倍内閣の頃とは変わってきたような気がする。というのは、やっぱり参議院の逆転状況を踏まえて野党一辺倒のスタンスを続けることができなくなってきたのないかと思わせるところである。
 今朝の各党の政調会長議論を見ていると(何故社民党は出ていないのだろうか)、ひょっとすると自民党谷垣禎一政調会長は実質的な議論を民主党と起こすことができるのかも知れないが、その為には自民党から歩み寄る、つまり、安倍お坊ちゃん内閣が「反省するべきところを気がつくことができなかった」点を気がつかなくてはならない立場にいることを気付かされたのではないかと期待したいのだけれど・・・無理かなぁ。
 しかし、町村のようにいつまで経っても絶対的与党であったことを忘れられない政治家はこれから先は落ちこぼれていくだろう。企業献金をホイホイ受け取るだけ受け取っておいて、「献金する企業がどんな補助金を受けているかまではチェックできないでしょう!」と居直るのであれば、共産党の小池が言うように「企業献金とは縁を切ればよい」のである。利益追求団体に繋がらなければ成り立たない国政は正しくない。
 政治資金規正法改正について公明党の斉藤鉄夫政調会長によると「長い議論を経て」与党は1円以上について領収書添付することで合意したんだそうだ。添付は合意したんだけれど「公開するかしないかについてはまだ結論に達していない」のだそうだ。君らねぇ、今頃一体全体何をやってるんだよ。
 亀井静香いわく「現実離れした1円議論して国民は納得しているんですかねぇ」とはやっぱり彼はもう賞味期間が切れていることは明確。その尻馬に乗って、果たして何もかも全部出すのが良いのかどうかと思う、と発言してしまうような谷垣政調会長もやっぱり同じ穴の狢といわれるだろう。
 今日のNHKの担当者はどうみても成績「D」だったなぁ。
*p4*クリスマス盤
 西欧の歌い手の皆さんは売れてくると必ず「クリスマス盤」を出す。それはもう、本当に誰も彼もで、ジャズ歌手から先日亡くなったパヴァロッティの入ったThe Three Tenorsだって、カントリー歌手のオムニバス盤だって、Diana Krallだって、チェロのYo-Yo Maだって、The Venturesだって、そのあたりの時代でいうと、The Beach Boysだて、みぃ〜んなクリスマス盤を出す。そんなクリスマス盤の持っているものを全部iTunesに読み込ませてもう何時間もクリスマス関連曲しか流れない状態にしていることが好きなので、年がら年中クリスマス・ソングが流れる状況になっている。しかし、あのとんでもない暑さが静まって、ようやくその雰囲気がOKな状態になってきた。
 そんなクリスマス盤の中で、私が寡聞にして知らなかっただけなのだろうが「I'll Be Home for Christmas」*1というバラードがある。これを一度iTunes Storeで検索してみた。こんなにたくさん唱っているのかぁ〜と私は驚いてしまったのだ。私がはじめてこの唄を聴いたのはいったい誰のものだったのか、全く見当がつかなくなった。さて・・・?

*1:Wikipediaによると1943年のWalter Kentの作品で"White Christmas"と同様ビング・クロスビーが唄ってヒットしたもののようである。戦争中にこんな歌を作る、だからこそ意味がある。クリスマスには家に帰るよ、雪と飾りを用意してね、ツリーの下にはプレゼント、イブには愛の灯りがともる、帰るよ、夢の中でもね、という歌詞である。戦争中にこんな歌を唄っていたら当時の日本では「非国民!」とやられちまっただろうなぁ・・・