ほぼ足りてまだ欲 その先

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神戸高校いじめ殺人事件

 なぜ過去の事件の学校名が未だに明らかにされないけれど、加害者が少年だからなのだろうか。新聞を見ていたらこんな記事を発見。
「自殺した当日の7月3日朝、学校でクラスの友人に遺書を書いたことを明かし、「あいつら(逮捕少年らフットサル仲間)には迷惑をかけないよう遺書に名前を出さないようにした」と、話したという。担任教諭が友人にこの発言を確認したという。(恐喝未遂で逮捕された少年の)弁護人は「少年が恐喝をしていたなら、生徒が少年を気遣う発言をするはずがない」として「恐喝未遂不成立」と上申書を提出(朝日新聞2007年10月03日)」したというのである。いじめられていた本人は加害者をそれだけ恐れていたと云って良いのではないのか。もし、自分が自殺をしくじった時、そうしたところに名前を残したら、後でどの様なことになるかと考えたらそんなことはできないと思ったとしても、そこに不自然さはないと私は考える。弁護人だからこそこうした主張を繰り返さなくてはならない役割だけれども、これが充分加味されると考えるのだとしたらそりゃ違うのではないだろうか。この少年は容疑を否認していると伝えられているが、これまで報道されていたことが事実だとしたら、否認どころではない。どっちが正しいのだろう。