ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

鎖国するってのはどうだろう

 このタイトルはいつもと正反対だ。
 グローバル化という流れは時代の流れなのだからしょうがないのかと云ったら、そんなことはないんじゃないのかと思うんだけれどなぁ。多分先の読みがいつも浅い私だから、名のある(名前のない人なんていないけれど・・)経済学者やら、社会学者やらに云わせたらそれは好むと好まざるとに関わらずそういう状況がやってきちゃうんだよ、ということになるのだろうか。
 だから、日本の農産物は人件費を中心としたコストがとても海外から持ってくる農産物に比べたら勝負にならない程の値段になってしまうから、それは諦めて、輸入品に頼れば良くて、日本でしか提供できないものを他国へのそんな製品の供給源になって暮らせばよいのだ、という論理になる。あぁ、そりゃ国際的分業で良いじゃないのと思ったりしたことが当然の如くにあったのだけれど、これじゃ、どんどん日本の第一次産業(今はもうそういう云い方はしないのかね?)は立ちゆかない。得意な分野を他国に供給する、というとそれは車だったり、ハイテク機器だったりするのだけれどもそれは第二次産業だというわけだ。ということは第一次産業従事者が第二次産業従事者、あるいは第三次産業従事者とならざるを得ないと云うことだ。
 そういえばなんだか白髪交じりのごま塩頭を真ん中から分けて、「ぶち壊す!」なんて云っていた奴らの一派が竹中という提灯持ちも含めて、どんどんもう既に成り立たなくなってきた産業からは転換していって頂きたいなんて勝手なことを云っていたような気がするなぁ。そういう意見というのは甚だ勝手な云い方で、利益追求を目的とする集団だったらそういうことは好き勝手にやっていけばよいのかも知れないが、社会というものはそういう集団じゃないんだよ。
 農業従事者に対して、どんどんそれが儲からないというパターンに追い込んでいて、背広組だけが存続する価値を有しているかの如き発言は、まったく如何なものかという気がする。
 高くても良いから日本の農業従事者が立派に「日本の農業」を維持していくことのできる社会を構築することが究極の国益になるのではないかという気がする。いくら、車屋だとか先端技術駆使業とか、金融業や株屋なんてぇのが儲かったとしても、もし、外国で単一栽培に集中している農業が天候やらで壊滅的被害を受けた時、もう簡単にこの国の食糧事情は暗転となってしまう。それはどういうことかというと、そうした「自分たちがこの国を支えているんだ」と誤解している産業に従事している経営者たちの利益のためを考えることが国益だ(つまりそこから滴っていくからねと)いって国民を欺してきた結果、この国は何もかも失ってしまうと云うことになるのではないかという疑問を持ったのだった。
 いや、その時は高い金出して買えばいいんじゃないか、恒常的に日本の農業を高いコストで守っても同じことになるんだ、という反論があるかも知れないが、それは高い金さえ出せば譲ってくれるんだという確信がある時だけいえる話だ。戦争直後の都会居住者が食糧管理法を犯して田舎に食糧買い出しに行った時に足下を読まれてさんざんな目にあったことをもうとっくに忘れちゃったのだろうか。それともわが国の国政レベルの政治家はほとんどその足下を読んだ側の出身かと思ったら二世、三世ばかりで、そんな修羅場をくぐった連中は与党にはほとんどいないのだろうか。
 時は怪しい雰囲気を漂わせている。どんどん平均気温が上がりつつあって、世界の農産物分布はこれまでのような具合には行かなくなりつつあるのかも知れない。まぁ、早晩人類が亡びる時は必ず来る、それはほぼ必然なんだから、早く亡びるか、それがちょろっと遅いか程度の差だから良いじゃないか、という諦め方もある。
 そうそう、政府与党はもう早速年金の税への移行なんてことを語り出しているのがいるらしいけれど、「百年持つ」と云ったのはあんたの党じゃなかったのか?
 あぁ、相変わらず先学の徒とでもいわれるのかね。