ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

35周年記念

 随分久しぶりに伊豆へJRを利用して出かけた。この路線を走るのは「踊り子号」だ。なんだかいろいろな「踊り子号」があるらしくてよく知らない。今回の団体旅行で利用したのは随分とオーソドックスな奴らしい。実はわが家が創設された35年前の12月10日にもこうして東京駅から国鉄に乗って伊豆に行った。当時の急行だったか準急だったかはどんな名前が付いていたのか、全く記憶にない。
 あの時は稲取温泉だった。駅からどうやって宿へ到着したのかも覚えていない。稲取の駅から宿までは結構な距離だ。当時からっけつも良いところだったのに、なんであんな旅館に泊まることができたのかといえば、義理の親がその旅館のただ券を持っていたのである。なんとラッキーなことであるかと驚くけれど、今でもあの旅館に泊まるにはかなりの勇気が要る。今回は今井浜である。しかも、団体旅行である。勇気は少し当時から比べると少なくて済む。それにしても日頃にない勇気をふるった。期待通りの温泉だった。
 この企画は早めに着いてゆっくり宿を出るという奴で、あまりにも早く着いてしまいそうだったのか、金額の高いJRを使う区間を如何に短くするかということだったのか、早くも伊東で「踊り子号」を降り、バスでのんびりと今井浜を目指すのである。それでも15時半には到着してしまう。それではとビーチを散歩するが、ここの砂浜は驚くほどゴミがない。勿論こんな時期だからと言うのはあるかもしれないが、漂着しているゴミがほとんど眼につかない。これは驚くほどだ。日頃から手間暇をかけているということだろうか。
 これだけゆったりしたスケジュールなんだから今回は意地でも5回風呂に浸かってやろうと貧乏根性を出す。ところがどうもタイミングのはかり方に失敗をしたということはたしかにあるが、なぜかここの宿のお風呂が午前0時に閉まってしまうのだ。勿論午前5時半になると再開はするのだけれど、夜半過ぎに密かにはいることができない。結局いつも通りの4回ということに終わったのは残念だった・・。こうなると何が目的なのかよく分からない。
 夜、ベランダに出てみると、遠くに大島やそれに連なる伊豆七島のいくつかの灯台の灯りや通り過ぎる船舶の灯りが見える。漁港の灯りに遮られてはいるもののいくつかの星が光る。そして驚いたのが大島上空を旋回する何機もの飛行機の灯りだった。多分羽田に着陸する旅客機の順番待ちなのではないだろうか。そういえば到着地の上空に来てぐるぐる回っていつまでも降りようとしないという経験は外国でも、東京でも何回もある。その時によく聴いたエンジン音が、こっちにまで聞こえてくる。いろいろなところで、いろいろなことが起こっているものである。それにしても静かに打ち寄せる波の音を聴いたり、明け方に窓から見ている波の動き、雲の動き、それによって変化する海に差し込むお陽様の光を見ていると、いつまで経っても全く飽きない。雲はあっちから来たり、こっちからやってきたりしてなんだか光のショーを見せてくれているようだ。
 日頃朝飯はトーストにコーヒーか紅茶と何かをちょこちょこと食べる。かつては出張先の朝飯でもそんなもんだった。ところがいつの頃から日はっきりした記憶はないのだけれど、1970年代の終わり頃、あるいは80年代の初期から、家では相変わらずだったのに、外では朝食はできる限りみそ汁にご飯を基準にするようになった。きっかけがなんだったのか思い出せない。出張先のビジネスホテルでは和か洋のどっちか、というところはあるけれど、概ね、バフェになっていて、どっちでも好きな組み合わせで食べられる。今朝は昔ながらの全くの和食だった。小さいけれど、結構ふくよかな鯵の干物、がんもの煮物、卵焼き、焼き海苔なんてところが並ぶ。ひさしぶりに卵かけご飯なんて食べたかったけれど、生卵はなかった。最近に珍しく納豆もなかった。でも昔からの朝飯を思い出した。朝飯と言えば子どもたちの活動に加わって9年間遊ばして貰った時は、夏も4日間、冬の2日間のキャンプの時には朝ご飯をできるだけ食べた。そうしないと身体が持たなかった。1980年代の私は動けたけれど、食べ物を必要としていた。今は動かない、それだけやっぱり食べ物を必要としない。ほんのちょっとで良い。
 あれからもう35年も経ったのかと思うと目が眩みそうだ。これからはもう35年も時間はない。そう考えると焦る。