ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

データー

 かつての一般的なデーターインプットの現場はまだパソコンなんてものが存在しなかったから入力用紙にデーターを記号化したものをそれぞれが頭の中で記号に転換して手で記入し、それをキーパンチャーが目にもとまらぬ早業でぱしゃぱしゃカードに穴をうがつ作業をこなしていた。それを機械に読み込ませると機械はどんどんデーターを呑み込んでいくのであった。それまでありえなかった仕組みの作業だから、そんじょそこらにそんな作業をこなせる人間がいたわけではないから、そうした作業能力を持っている人は貴重だった。私はなんだか仕組みの分かっていないままに自分の毎月の営業データーを記号化インデックスと首っ引きで鉛筆で書き込む。同じ仕事をしていた室員の4人がそれぞれのデーターを放り込む。するとデーター管理室のやり手バリバリ女性社員がやがてやってきて、「あんたたちのインプットデーターの書き方の誤り率」なんてのを突きつける。アルファベットのOには「/」をいれろ、「I」には上・下に「横バー」を入れろといった類の非常に初期的な誤りである。
 しまいにはそのセクションでは私達4人のうちいい加減さが直らない私を含めた若手三人のことを「三バカトリオ」と呼び始めていたらしいことはすぐに所内に広まった。その女性チェック係員がいることを良いことにわれわれはいっかな反省をしないのであった。当時大きな問題として取り上げられていたのはそのキーパンチャーの人々の腱鞘炎に代表される職業病といわれた障害だった。だから、そうした人々の健康管理は重要なものとなり、連続作業に制限をかけることにしてそれの予防を考えることは不可欠となった。労働組合がそこに属する組合員の健康管理を主張するのは当然の役割だった。ところが状況はどんどん変わってきた。そうしたデーターインプットの方法が劇的に変わった。私の職場も営業情報のインプットには各職場に配置された専用端末からなかなか飲み込めない分厚いインプットマニュアルを読みながらデーター資料も開きながら、そして(ここが結構重要なんだけれど)飲み込みの早い若い社員たちから(「まだおわんないですかぁ〜!」などと)バカにされながら入れる方式となってしまった。
 この時にいたって、この入力書き込みチェック係りからキーパンチャーから実際の機械室のオペレーションをする人たちからが一斉に不要になった。彼らはその後どうなっていったんだろうか。この頃から私の職場にはワープロ専用機が入ってきた。企画書からプレゼン資料から会議資料からそれこそかつてはタイプに頼んでいた書類の一切合切を全部下書きからアウトプットまでをその機械で創り出した。そこから先は一気呵成にどんどん機械化は進んで、あっと気がついた時には各自の机にラップトップが並び、人事異動からほとんどの配布書類が社内LANで繋がれたハードで読めるようになった。こうなると情報を取れていない、そこにアップされている情報を取り出せない、取り損なったって言い訳は何もできなくなった。
 社会保険庁にはデーター入力チェック係りも、その後の労組要望再検討も何もなされていなかったということなのか。「人間は必ず間違いを犯す」という解釈を当時の米国企業の品質管理担当から聞いた時に、私はこういうことを根底に考えているから米国製のハードにはどうしようもない製品が出荷されちゃうんだと呆れながら聞いたものだった。つまりわが国の高度品質管理製造業を実に誇りに思ったものだった。出荷されるものには些かの間違いも些かの欠陥もありえないのだと。あのデーターインプットを実施していた社会保険庁でもそんな幻影に犯されていたのだろうか。
 様々なマスコミが「当社が入手した情報によれば」といって年金情報の呆れかえるばかりのいい加減さが報道されるけれども、社会保険庁自身が、そして自治労自身が「こんな具合になってしまったのはこんな経緯があったからなんです、申し訳ないのですが、当時のこのいい加減な仕事を遂行してしまったのは、総務系担当:○野×郎、データー入力担当:□谷△子・・・でした」と明らかにするべきなんじゃないだろうか。最初の時点で間違ってしまったデーターはどんなことをしてももう二度と正しいデーターに結びつけることは不可能である。
 私達「三バカトリオ」はあのバリバリチェック係員に大いに感謝をしなければならないし、その愛称(蔑称か?)を甘んじて受けなくてはならないのだ。